以前働いていた教会でのことです。その教会は公立中学校に隣接した場所に建っていましたので、校舎からはいつも元気な中学生の声が聞こえてきていました。ある日、教会の呼び鈴が鳴ったので急いで玄関に行くと、一人の中学生が立っていました。「礼拝堂でお祈りをさせてもらってもいいですか?」と言うので早速礼拝堂に案内すると、彼はそこに座って一生懸命に祈り始めました。お祈りが終わって帰るとき「何かあったの?」と声をかけると、「高校の受験が近づいて来たり、他にもいろいろ辛いことがあったのでお祈りしたい気持ちだったんです。」と話してくれました。その場所に教会が建っていること、そして中学生がその教会に祈るために来てくれたことがとても嬉しかったのを覚えています。
教会は、いつもそこに集まって来るクリスチャンだけの建物ではありません。イエス様は言われました。
「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」
(新約聖書 マルコによる福音書11:17 新改訳)
教会という場所が、教会員だけでなく、ご近所に住む人やそこを通りかかった人たち、日ごろなかなか教会に来る機会のない人たちにとっても、何かがあったとき(あるいは何もなくても)そこに足を運び、神様に祈り、心を静められる場所であったら何と素晴らしいことでしょうか。教会が「すべての民の祈りの家と呼ばれる」場所へと成長していくように願っています。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋