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「転身」

井戸で羊飼いに追い払われてしまったところをモーセさんによって助けられた娘たちは、祭司である父のもとに行ってこの出来事を話しました。

 エジプト人から助けられたと聞いた父は、それがどのような人物であるかはわからなかったことと思いますが、娘たちに次のように命じました。

父は娘たちに言った。「どこにおられるのだ、その方は。どうして、お前たちはその方をほうっておくのだ。呼びに行って、食事を差し上げなさい。」

(聖書 出エジプト記 2:20 新共同訳)

 何の計画もなく、とにかくエジプトの地から逃げて来たモーセさんでしたが、この招待によって人生の転機がおとずれました。

モーセがこの人のもとにとどまる決意をしたので、彼は自分の娘ツィポラをモーセと結婚させた。彼女は男の子を産み、モーセは彼をゲルショムと名付けた。彼が、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったからである。(聖書 出エジプト記 2:2122 新共同訳)

 モーセさんはエジプトでの華やかで地位や権力を持った王宮生活から一転、羊飼いとしての質素な生活が始まりました。

 そんな中でも、モーセさんはそこで結婚をし、子どもを授かりました。

 何よりも、エジプトでの異教の神々にかこまれる生活から、真の神を礼拝する家庭へと身をおくことになったことは、モーセさんにとって大きな益となりました。

 そして、これも神様の御計画でした。

「助けたことが報われる」

ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。

(聖書 出エジプト記 2:15新共同訳)

同胞からの不信、エジプト人からの不信という居場所を失う状況に際し、モーセさんはとにかく自分の身を守るために逃げ出しました。

 そして、たどり着いたのがミディアンという地でした。その地方には、モーセさんと同じように真の神を礼拝する人たちが住んでいました。

さて、ミディアンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちがそこへ来て水をくみ、水ぶねを満たし、父の羊の群れに飲ませようとしたところへ、羊飼いの男たちが来て、娘たちを追い払った。モーセは立ち上がって娘たちを救い、羊の群れに水を飲ませてやった。

(聖書 出エジプト記 2:1617 新共同訳)

 ミディアンの祭司というのは、まさにモーセさんと同じ神様に仕える家族でした。その7人の娘たちは羊飼いとして羊の世話をしていました。

 モーセさんが井戸で休憩していたところ、男性の同業者に追い払われて困っている彼女たちの姿が見えました。

 エジプトの地では、良かれと思って人助けをしたことが全く理解を得られず、そのせいでここに逃げてくることになったという苦い思いがあったことと思います。しかし、モーセさんはこの困っていた祭司の娘たちを助けました。

 無事に羊の群れが水を飲むことができた後、モーセさんに助けられた娘たちは祭司である父にこのように報告しました。

彼女たちは言った。 「一人のエジプト人が羊飼いの男たちからわたしたちを助け出し、わたしたちのために水をくんで、羊に飲ませてくださいました。」

出エジプト記 2:19

 モーセさんはエジプトから着の身着のまま逃げて来たので、エジプト人に見られたわけですが、彼女たちからすると「まさかエジプト人が助けてくれるなんて」という驚きもあったことと思います。

そんな中でも、「この人は私たちを助けてくれた」と、今回はモーセさんの思いがしっかりと理解され、感謝されたのでした。

「居場所を失う」

虐待されている同胞を助けるため、人を殺めてしまったモーセさんでしたが、その出来事を通して自分が解放者であることを知ってもらえたであろうと確信しました。

 しかし、一時の感情的な行為によって、モーセさんの予想に反する同胞からの反応が待ち受けていました。

翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。

(聖書 出エジプト記 2:13-14 新共同訳)

 エジプトのトップが2日も続けて奴隷のもとに訪れること自体が、仲間意識の共有に繋がることでありました。

 しかし、同胞のヘブライ人が示した反応はモーセさんにとってあまりにもショックなものでした。

 解放者として認められなかっただけにとどまらず、命を奪う危険人物として扱われてしまったのでした。

 聖書の別の箇所にも同じ記述があります。

すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうととするのか。』(聖書 使徒言行録 7:27-28 新共同訳)

 暴力がもたらした結果はモーセさんにとって大きな痛手でした。何よりも、神様はそのような方法でイスラエルを解放しようとは考えておられませんでした。

 こうして居場所を失ってしまったモーセさんでしたが、神様はこの後モーセさんがエジプトの地からヘブライ人を解放するリーダーとしての働きをなす備えをするために、特別な環境を用意しておられました。

「理解されない」

エジプトでの高度な訓練を受けたモーセさんは、40歳という力や権力、そして気力に満ちている時期をむかえていました。

 そして、同胞を解放するという大きな使命に燃えていたモーセさんに転機がおとずれました。

モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。 (聖書 出エジプト記 2:11 新共同訳)

 重労働に加え、酷い扱いを受けているのを目撃したモーセさんは、自分の感情を抑えることができなくなりました。

 そして、訓練で培ってきた力をもってそのエジプト人に向かって行きました。

モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。(聖書 出エジプト記 2:12 新共同訳)

 同胞を酷い目にあわせているエジプト人に襲い掛かり、結果的に人を殺めてしまいました。

 勿論、エジプト側にこのことが知れれば問題になります。しかし、この時、現場にいたのは虐待されていた同胞だけでした。

感情的に手をだしてしまったことではありましたが、モーセさんにとってこの出来事は、自分がエジプト側の人間ではなくヘブライ人に味方する存在であるということを示す十分な証拠となったと思われました。

 しかし、そう簡単にはいきませんでした。

モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。

(聖書 使徒言行録 7:25 新共同訳)

 神様がモーセさんを用いて同胞をエジプトから救い出そうと計画しておられたことは間違いないことでした。しかし、囚われている側がそれを理解しない時、そこから救出することは困難を極めます。

 神様が私たちのためにしてくださることに対して、私たちが心を閉ざしてしまうがために理解できないことがあるかもしれません。

 常に心を開いて神様の計画を知ることができるように祈り求めていきたいですね。