無罪にも関わらず監獄へと入れられてしまったヨセフさんでしたが、神様が共におられ、全てをうまく計らってくださったことで、監獄の中でも道が開かれていきました。
ヨセフさんは、監獄の中に入れられた後、奴隷としてポティファルさんの家に来た時と同様に不貞腐れることなく誠実に過ごしていきました。
その結果、「監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった」(聖書 創世記39:23 新共同訳)というほどまでに信頼を得ていきました。
そんな中で、1つの事件が起こりました。
「これらのことの後で、エジプト王の給仕役と料理役が主君であるエジプト王に過ち
を犯した。ファラオは怒って、この二人の宮廷の役人、給仕役の長と料理役の長を、侍従長の家にある牢獄、つまりヨセフがつながれている監獄に引き渡した。」(聖書 創世記40:1∼3 新共同訳)
ヨセフさんは、監獄の中で囚人の世話を任されていたので、この新しく投獄された給仕長と料理長の世話も任されました。
監獄の中で、ヨセフさんがどのようなことを任され、どのように他の囚人のお世話をしていたのかは書かれていません。しかし、ヨセフさんはいつもそこにいる人たちのことを気にかけ、優しい言葉をかけていたことと思います。
そんなある日、投獄された給仕長と料理長が暗い顔をしてふさぎ込んでいるのを見たヨセフさんは、心配になり声をかけました。
「今日は、どうしてそんなに憂うつな顔をしているのですか。」(聖書 創世記40:7 新共同訳)
この2人が今日はいつもと違う。何か憂うつな表情をしている。これを察することができたのは、ヨセフさんが本当にいつも獄中にいる囚人たちを気にかけていたからこそできたことだったのではないかと思います。
このヨセフさんの優しさが、投獄されているヨセフさんに新たな道を開くこととなっていきました。