月別アーカイブ: 2018年7月

Famine of hearing the words of the Lord / 主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇き

Severe heat is continuing in Japan. How have you been?

The Japan Meteorological Agency gave a press conference on July 23.

They warned. “This is the heat that brings the danger of life, it is a kind of disaster.”

Recently, sales of sports drinks have increased substantially in Japan. Because of these intensive heat.

“Thirst” is a sign from the body. It is necessary to keep our body healthy.

If we ignore this sign, our body will become serious serious condition.

“Take water constantly when you exercise” is said. Before you feel thirsty.

We need water and food not only for body, but also for spirit.

“The days are coming,” declares the Sovereign Lord,
    “when I will send a famine through the land—
not a famine of food or a thirst for water,
    but a famine of hearing the words of the Lord(Amos 8:11 NIV).

We may be able to live without the word of God. But God said to us“I will send a famine through the land—not a famine of food or a thirst for water, but a famine of hearing the words of the Lord.”

If we feel that “My spirit is not satisfied” “My heart is tired”, it might be a sign from our spirit.

This is an invitation from God to us.

 Let the one who is thirsty come; and let the one who wishes take the free gift of the water of life(Revelation 22:17 NIV).

厳しい暑さが全国的に続きましたが、いかがお過ごしでしょうか。7月23日には、気象庁が緊急会見を開き、この酷暑を「命に危険があるような暑さで災害と認識している」と述べて、熱中症などに十分な対策をとるよう呼びかけました。

この酷暑を受けて、清涼飲料水、特にスポーツドリンクの売り上げが大きく伸びているそうです。

「渇き」は、身体が健康な状態を保つためのサインです。このサインを無視し続けると、身体は脱水症状になり、危険な状態になってしまいます。運動をするときには「喉の渇きを感じる前にこまめに水分を摂りなさい」と言われます。

私たちの身体だけでなく、私たちの心にも水分や栄養分が必要です。

見よ、その日が来ればと/主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく/水に渇くことでもなく/主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。

(旧約聖書 アモス8:11 新共同訳)

「私はこれまで聖書を全く読まなくても、生きることが出来た」という方もおられるでしょう。しかし、神様は私たちに「主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きを送る」と言われました。「何故なのか分からないけど、心が満たされていない」「心が疲れた」それは、私たちの心が命の水の源である神様の言葉を欲しているサインなのかもしれません。

神様はそんな私たちを優しく招いておられます。

「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。」(新約聖書 ヨハネの黙示録22:17 新共同訳)

陥れる言葉から救い出してくださる / He will save you from snare

韓国での研修を終えて無事に帰国しました。今回もたくさんのことを学ぶことが出来ました。ある先生から教わったことをご紹介させていただきます。

誰しも心身が疲れて憂うつな気持ちで一日を始めなければならないことがあると思います。わたしも時々そのようなことがあるのですが、そのことをその先生に話すと、先生は「次のそういうことがあったらぜひこれを試してみてね!」と言って聖句を教えてくれました。

いと高き神のもとに身を寄せて隠れ/全能の神の陰に宿る人よ

 主に申し上げよ/「わたしの避けどころ、砦/わたしの神、依り頼む方」と。

 神はあなたを救い出してくださる/仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。

(旧約聖書 詩編91:1~3 新共同訳)

心が不安や恐れ、悲観的な思いで支配されてしまうとき、この詩編91篇を繰り返し読むことを強く勧められました。確かにこの章全体を繰り返し読むとき、少しずつ自分の心の焦点が、否定的で移ろいやすい自分の感情から、決して変わることのない神様の真実さにシフトされてゆくのを感じま

した。

イエス様は「何を聞いているかに注意しなさい」と言われました(マルコ4:24)。時にわたしたちは周囲からの評価によって一喜一憂し、また自分心の中から聞こえて来る否定的な声に苦しみます。しかし私たちがそれらの声ではなく、神様の言葉に耳を傾け、それを土台とすることを選ぶとき、厳しく困難な現実の中にあっても確かな平安の中に生きることが出来るのです。

※写真は、韓国・済州島の漢拏山(Hallasan Mountain)です。

Finally, our training program have finished and I came home safely. I learned many things through this program. I would like to share one of them.

Sometimes, we are facing difficulty, and have struggle. So our feeling are getting worse at that time.

One day, I talked with my teacher about my struggle. Then she recommended me a Bible chapter. It was Psalm 91.

Whoever dwells in the shelter of the Most High
will rest in the shadow of the Almighty.
I will say of the Lord, “He is my refuge and my fortress,
my God, in whom I trust.”

Surely he will save you
from the fowler’s snare
and from the deadly pestilence.(Psalm 91:1-3 NIV)

Indeed it was very effective for me. When I read Psalm 91 whole chapter repeatedly, my heart was changing.

It made me focus on His word not to my feeling.

Our feeling are easy to change, it is unstable. However His word isn’t change forever.

“Consider carefully what you hear,” Jesus said(Mark 4:24 NIV).

When I listened about my evaluation from other people’s voice, my feeling were up and sometimes down. My voice also said to myself, “You are bad person”. so my feeling were getting worse.  But if I listen to His word, it makes me happy and stable. Because His word has life always.

May God bless you, and your heart will filled by His word always.

 

人々にもそのとおりにせよ。

韓国・済州島での英語の研修も後半になりました。今週の半ばごろ、酷い頭痛のために半日クラスを休んでしまいました。昼食と夕食を食べることが出来ずに部屋で休んでいると、クラスメイトたちが食事を運んできてくれました。それだけでもとても嬉しかったのですが、「あなたが食事に来ていないことを食堂のスタッフの方が心配していたよ。」と言うのです。友人たちだけでなく、食堂のスタッフの方までもが私のことを覚えてくれているということに胸を熱くしながら夕食をいただきました。


だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。

(新約聖書 マタイによる福音書7:12 口語訳)


イエス様のこの教えはとてもシンプルです。しかし、簡単なことではありません。心の焦点が自分自身にしか向いていない時、私たちは周りの人が何を必要としているか気づくことは出来ません。自分は果たしてどれくらい周りの人の必要や痛みに敏感だっただろうかと恥ずかしくなりました。

 

私を心配して部屋に訪ねて来てくれた中国人の友人は、中国語で心のこもった祈りをささげてくれました。いつも朝早くから私たちの食事を用意してくれているスタッフの方々とは直接の会話を通してはコミュニケーションは出来ません(私が韓国語が出来ないので)。しかし、言語を超えて確かに伝わるものがあることを再確認させられました。それこそがイエス様が私たちに教えてくださったものなのかもしれません。