月別アーカイブ: 2018年6月

「さあ、立て。ここから出かけよう。」

韓国・済州島での研修の一週目が終わろうとしています。2年間に4回開催されてきた最後の研修です。懐かしい仲間や先生方と再会を喜び合った一方で、何人かの仲間たちとは会うことが出来ませんでした。それぞれ仕事や教会の事情で、今回の研修に参加出来なかったのです。新しい働きのためにパラグアイに旅立った仲間もいます。


「さあ、立て。ここから出かけよう。」

   (新約聖書ヨハネによる福音書14:31 新共同訳)


弟子たちと3年半、非常に中身の濃い時間を過ごされたイエス様が、間もなく弟子たちと別れようとしたときに、彼らに呼びかけて言われた言葉です。画像の説明

イエス様が弟子たちと共に時間を過ごされたのは、仲間内で楽しい思い出を作るためではありませんでした。「ここから出かけよう。」・・・すなわち訓練を受け、それぞれに与えられている大切な働きに向かって出て行くためでした。

イエス様と弟子たちだけでなく、私たちの人生にも様々な出会いと別れがあります。親しく時間を過ごした仲間と離ればなれになるのは寂しいことですが、このイエス様の言葉を読むときに、前を向いて自分に与えられた道を前進していくように励まされる思いになりました。

※写真はNSD リーダーシップトレーニングセンター近くのPyoseon beachの夕日です。

涙と共に種を蒔く / Those who sow with tears will reap with songs of joy

2016年11月から始まった英語の研修も、いよいよ6月24日から始まる今回の集中講義で終わろうとしています。研修に参加した1年半の間には色々なことがありました。先生の講義を聞いて、それを理解している他のクラスメイトたちが笑っているのに、自分だけ何がおかしいのかが分からなくて、情けなくて涙が出てきたこと。英語漬けの毎日に脳がオーバーヒートしたのでしょうか?ひどい頭痛に苛まれて授業を休んだこと。自ら志願して参加した研修だったのに「自分は何でこんなところに来てしまったのか…」と激しく後悔したことなど、辛かったことが思い出されます。しかし私は今、この研修に参加出来たことを心から感謝しています。2年近く勉強した割には、私の英語力はまだまだ低いのですが、それでも外国の人たちとコミュニケーションを取ることができるようになりましたし、一緒に研修に参加した仲間たちとかけがえのない友情を築くことができました。今回、最初の研修が持たれた韓国・チェジュ島の研修所に滞在するのですが、1年半ぶりにそこに行けるのがとても楽しみです。

涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。

種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

(旧約聖書 詩編126:5,6 新共同訳)

私たちそれぞれの人生には、辛くても「涙と共に種を蒔く」「泣きながら出て行く」ことが求められるような場面がしばしばあります。しかし、神様は私たちにこの素晴らしい約束の言葉を与えてくださいました。特に今、苦しみや悲しみの最中にある方が、涙と共に歩いているその道を、いつの日か神様への讃美をささげながら帰って来ることが出来ますように、心からお祈りしています。

※NSD training center の夜明け(2016年11月撮影)

I am participating in English training program. It began in November 2016. It’s almost over.

Session starting from June 24th is our final session. I have experienced many things during this period. One day, we were listening to lectures. My classmates laughed at the lecture. Because they understood the lecture. I could not understand it. I felt lonely then.

I used English only everyday, so my brain burned out. I was absent from class for a bad headache. I regretted participating in this training. Even though I wanted it.

However, now I am grateful that I participated in this training. My English is still not good, but I have become able to communicate with foreigners. God gave me many friends through this training. Those friendships are my treasure. I’m going to Jeju Island in Korea. Our training begins there, and it ends. I am glad that I could visit there again. I will see the same scenery there with different feelings.

Those who sow with tears
will reap with songs of joy.
Those who go out weeping,
carrying seed to sow,
will return with songs of joy,
carrying sheaves with them(Psalm 126:5,6 NIV).

There are several sadness and tears in our life. Everyone has a day to walk while weeping. However, God gave us the promise of “Tears turn into joy”. I pray that God will comfort those who are currently facing particularly deep suffering. Tears turn into songs of joy.

求めているものを神に打ち明けなさい / In every situation, present your requests to God

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

(新約聖書 フィリピの信徒への手紙4:4~7 新共同訳)

私はかつて、この聖句が好きになれませんでした。「『喜びなさい』って言われても、喜んでばかりいられないよ。こんなに辛いこと、苦しいことがあるのに…。きれい事を言うなよ!」そう思っていました。しかし、著者のパウロがこの手紙を牢屋の中で書いたのだと知ったとき、そう思っていた自分が恥ずかしくなりました。

牢屋の中にいても、心の平安を失わず、むしろ牢屋の外にいる人を励ますことができる人がいる。それに対して、自分は自由な世界にいるのに、目の前の小さなことに心を乱されている…。そういう弱い自分に気づかされたからです。

パウロは「何事につけ、…求めているものを神に打ち明けなさい」と書いています。これは「神様にあなたの本音をぶつけなさい」という意味だと私は理解しています。泣きごとでも怒りでもいい、神様に心からの本音をぶつけるときに、神様からの喜びや平安を受け取ることができるということを、パウロは知っていたのかもしれません。

心の中がちりぢりに乱れるとき、どうしても不安や恐れをぬぐうことができないとき、パウロが勧めているように、あなたが心の底から欲しているものを神様の前に注ぎ出してみませんか?

Rejoice in the Lord always. I will say it again: Rejoice! Let your gentleness be evident to all. The Lord is near. Do not be anxious about anything, but in every situation, by prayer and petition, with thanksgiving, present your requests to God.  And the peace of God, which transcends all understanding, will guard your hearts and your minds in Christ Jesus(Philippians 4:4-7 NIV).

I used to didn’t like this Scripture. This Scripture says, “Rejoice!”

But I thought, “I have a lot of troubles, I cannot rejoice!”, “Don’t try to sound like a perfect person!”

But when I learned that Paul wrote this letter in prison, I was ashamed of myself. Even though Paul was in prison, he had peace of mind. Not only that, he encouraged people outside the prison. I have a free life. However, I am often losing a peaceful mind. I was making myself unhappy with small troubles.

Paul recommends us, “In every situation, present your requests to God”.

It means to honestly tell my true intention to God. We do not have to hide our true feelings in front of God. Even if it is anger, sadness, we can tell to God as it is.

In doing so, Paul knew that we could receive peaceful mind from God.

When your heart is confused, let’s tell your true intention to God as it is. God will give you peaceful mind.

完全に知られているように / As I am fully known

一昨年からはじめた英語の勉強の一環で、英語で聖書の1章を暗唱しようと思い、チャレンジしています。日本語でさえ難しいのに、英語で1章まるごと暗記するのは簡単ではありません。

ある英語の先生にこの取り組みについて話したところ、暗唱している自分の声を録音してチェックすることを勧められました。早速やってみたのですが…録音された自分の声を聞くというのは、私にとって何とも居心地の悪い経験でした。自分の声ではないように聞こえるのですが、これが正真正銘私の声なのです。しかし、それを繰り返しているうちに、自分でも気づいていなかった覚え間違いや発音がおかしいところなどに気づかされて、確かにこれはよい訓練だということが分かりました。

私たちは、「自分のことは自分が一番よく分かっている」と考えがちですが、案外自分の本当の姿を知らないのではないでしょうか。そしてしばしば、自分の本当の姿というのは、受け入れるのが難しいものです。

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。

(新約聖書 コリント人への第一の手紙13:12 口語訳)

神様は私たちを完全に知っておられるお方です。神様の言葉である聖書は、私たちの本当の姿を映す鏡のようなものであり、また私たちを照らす光です。私たちは本当の自分の姿に気づかされたとき、絶望する必要はありません。神様がそんな私を愛してくださっているからです。

 

One of my challenge about my learning English is memory verse. I am trying to memorize one chapter of the Bible. It’s not easy for me.

When I talked about this challenge to an English teacher, he recommended me recording my own voice. I did it soon. But it was quite uncomfortable for me. I felt that it was not my voice. However, it certainly was my voice.

I repeated it every day. Then I was able to notice my mistakes and wrong pronunciation. It was a good training for me.

We think that I am familiar with myself. However, we do not often know our true figure.

 For now we see only a reflection as in a mirror; then we shall see face to face. Now I know in part; then I shall know fully, even as I am fully known(1 Corinthians 13:12 NIV).

We are known fully by God. The Bible is like a mirror showing us of our true figure. It is the word of God. And it is the light that God gave us. I do not have to be disappointed when I realize my true figure. Because God loves me always.

あなたたちの行くべき道は分かる / You will know which way to go

「人生一寸先は闇」と言われます。確かに私たちは、明日この世界でどんな事件が起きるのか、そして自分の身にどのようなことが起こるのか分かりません。

出エジプトのリーダーをモーセから引き継いだヨシュアは、いよいよヨルダン川を渡って約束の地に入っていくとき、民に言いました。彼らにとってそこは初めて足を踏み入れる土地でした。

「あなたたちは、あなたたちの神、主の契約の箱をレビ人の祭司たちが担ぐのを見たなら、今いる所をたって、その後に続け。…そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる。」(旧約聖書 ヨシュア記3:3,4 新共同訳)

私たちが明日を知ることができないのと同じように、彼らにとってもこれから進んでゆく道は「これまで一度も通ったことのない道」でした。しかし、主の契約の箱(その中には神様から彼らに与えられた「十戒」が入っていました)に先導され、その後に従って行くなら「あなたたちの行くべき道は分かる」と言うのです。

神様は聖書の言葉を通して、私たちの人生を導いてくださいます。私たちが本来進むべき道からそれるときには警告し、これから起こるはずのことを示し、それに対する備えをするようにと呼びかけてくださるのです。

確かに、私たちの人生の一寸先は闇です。しかし、神様はその暗闇を力強く照らすともし火を用意してくださいました。この聖書の光に導かれて、与えられている人生の旅路を前進していきたいと思います。

 

We often say that “Nobody knows what may happen tomorrow”.

Certainly, it’s one of the truths in our life. No one knows what the future holds.

Joshua took over from Moses the role of Exodus leader. They finally across the river of Jordan and were about to enter the promised land.

At that time, the leaders told the people.

 

“When you see the ark of the covenant of the Lord your God, and the Levitical priests carrying it, you are to move out from your positions and follow it. Then you will know which way to go, since you have never been this way before.(Joshua 3:3,4 NIV).

 

We do not know what will happen in the future. In the same way, they did not know what was waiting for them in the promised land. It was a place they had never been to. But if they keep up with the ark of the covenant, they will know which way to go.

God leads our life through the word of God. He gives a warning when we leave the right way. Through His words, He will prepare us for the future.

 

Surely, we cannot know the future by myself. However, God gave us the light for keep on traveling. It is the Bible. We can continue each journey to the destination with Bible.