月別アーカイブ: 2016年8月

朽ちない冠を得るために

リオデジャネイロで開催されたオリンピックが終わりました。連日の熱戦をTVで観戦・応援して寝不足だったという方もおられるのではないでしょうか。 20160827朽ちない冠を得るために

アスリートたちが目標に向かって努力を重ね、力の限りを尽くして競い合う姿には、心動かされるものがあります。選手一人一人に様々なドラマがありました。その陰には気が遠くなるほどの努力や、多くの人たちのサポートがありました。

聖書の時代にもスポーツは人々の身近なものだったようです。次のように書かれています。

あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。

(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 9:24,25 新共同訳)

パウロがここで言っている「朽ちない冠」とは、終わりの時の裁きを経て、神様から与えられる永遠の命のことです。オリンピック選手よりも厳粛で、重みのあるもののために、私たち一人一人も、それぞれのレースを「走っている」のだとパウロは言うのです。

選手たちが目標を目指して真剣にトレーニングを重ねるほどに、私たちも永遠の命に向かって真っすぐに歩んでいるでしょうか。「朽ちない冠を得るために」今日という一日を、しっかりと生きたいと思います。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい。

休暇をいただいて、野尻湖(長野県信濃町)に行ってきました。豊かな自然の中でゆっくりと過ごして、心身

共にリフレッシュすることができました。「休む」ということについて、聖書に次のように書かれています。

イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。

(新約聖書 マルコによる福音書6:31)

私たち現代人だけでなく、イエス様の弟子たちも忙しい時間を過ごしていました。イエス様は、そんな彼らに「休暇を取ってゆっくりしなさい」と勧められました。しかし、その後の箇所を読んでみると、群衆が弟子たちを追いかけ、先回りをして、弟子たちは休むことが出来ない状況になった様子が書かれています(5000人の給食の奇跡)。

弟子たちには休みが必要だったのに、なぜイエス様は休暇先にまで押し寄せてきた群衆を追い払わず、群衆のために奇跡を行われたのでしょうか。弟子たちの休暇はどうなってしまったのでしょうか。

「休みの予定を入れていても、急なことで予定通り休めなくなってしまうことがあるよ。だからこそ、休めるときにしっかり休むようにしなさい」とイエス様は弟子たちに教えようとされたのかな、と想像します。

イエス様が「あなたがただけで、人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われたように、私たちには休息が必要です。物理的にも精神的にも仕事から離れて、ゆっくりと心身の充電が出来たとき、「やるぞ!」と、新しい気持ちで目の前の事柄に取り組むことが出来るのではないでしょうか?

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は、野尻湖畔の散歩道です。

むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。

例年よりも遅い梅雨明けで「夏はまだかな」などと思っていたことが嘘のような厳しい暑さの夏になりました。20160813むしろ、冷たいか熱いかどちらかであってほしい今週の火曜日、八王子の最高気温は38度でした(甲府はもっと暑かったでしょうか)。体調を崩さないように注意したいものです。

さて、この数日、健康のために始めた小さな取り組みがあります。それは「白湯を飲む」ということです。毎年夏は「身体にはあまりよくないんだろうなあ」と思いながらも、保冷ボトルに氷水を入れて持ち歩き、喉が渇くと冷たい水をゴクゴク飲んでいました。しかし、先日、ふとしたことから白湯のおいしさと身体へのやさしさを知り、白湯の入ったボトルを持ち歩くようになりました。白湯にはデトックス効果・ダイエット効果もあるそうで、それらの効果が現れるのを楽しみにしています。白湯を飲みながら、次の聖書の言葉が思い出されました。

「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。」

(新約聖書 ヨハネの黙示録3:15~17 新共同訳聖書)

暑い夏にあたたかい白湯、健康のために試してみませんか?そして、暑い夏に自分の信仰の温度を再確認してみてはいかがでしょうか?

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

汗を流す

照りつける太陽、蝉の鳴き声、蚊取り線香のにおい…今年も夏がやってきました。20160806汗を流す

暑い夏には汗をかくものですが、最近「汗」が悪者になっているように感じられるのは私だけでしょうか?

コンビニエンスストアに行くと、汗ふきシートやスプレーなどの制汗グッズがたくさん売られています。中には毛穴にふたをして、汗が出るのを抑えるようなものもあります。

人間の皮膚には、身体の中に溜まった老廃物や毒素を体外に排出する、とても大切な役割があります。私たちの身体は汗をかくように造られています。暑い日に汗をかくということは健康のために必要なことなのです。

暑い日に身体を動かして、全身から汗を流すと心身ともにスッキリします。その後シャワーを浴びると生き返った気持ちになります。

聖書の中にこんな言葉があります。

「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、/あなたは土から取られたのだから」(旧約聖書 創世記 3:19  口語訳)

土から造られ土に帰る者として、汗を流す者として私たちは造られました。

「汗を流す」という言葉には、「苦労をする」というニュアンスもあります。

私たちが心や身体から汗を流すとき、その一滴一滴は決して無駄にはなりません。誰かを幸せにし、自分自身を健康にしてくれます。

「イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。」(新約聖書 ルカによる福音書22:44 口語訳)

イエス様は私たちのために苦しみ、汗を流して下さいました。一年で一番暑い季節に、「汗を流す」ことの意義をもう一度見直してみませんか?

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋