月別アーカイブ: 2015年12月

毎日食べるものによってつくられている

毎週金曜日に更新しているこのショートメッセージは、もともと兼任している八王子教会のホームページでスタートしたものです。このショートメッセージも、今回で100回目となりました(八王子教会ではじめたものから数えた場合)。第一回目が2014年1月25日でしたので、間もなく2年になります。読み返してみると、同じようなことを何度も書いていたり、同じ聖句を引用したり、自分でも恥ずかしくなるような稚拙な文章ばかりですが、まさにこれが私のこの100週間の歩みだったのだと実感しています。

私にとってこのショートメッセージを書くことは、「食べ物を食べて排泄すること」のようなものかもしれない、と常々感じていました(変なたとえですみません)。そのとき自分が悩んだこと、問題意識を感じていること、それらの中で聖書の言葉に励まされたことなどが毎週の記事の原料になっています。逆に言えば、何も悩まず考えず、聖書の言葉が心に入って来ていないときは、書くことが出来なくなるのです。

「真の美しさは、健康な身体の内側から生まれます。ダイエットのために食事をとらないようにするなんて論外。あなたの身体はすべて毎日食べるものによってつくられていることを自覚しましょう。」

これは「美の伝道師」と呼ばれるイネス・リグロンの言葉です。本当にその通りだと思います。そしてこれは身体だけでなく、心にもそのまま当てはまる原則ではないでしょうか。

心身の健康のため、毎日心と身体の糧を取ることを大切にしていきたいものです。


 

主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

(旧約聖書 申命記8:3 新共同訳)


よい新年をお迎えください。新しい年も皆様の上に神様の素晴らしい祝福がありますようにお祈りさせていただきます。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は、金曜夜のべスパーのある日のメニューです。2015-03-13 18.31.44

「ずうっと歩いたことも、プレゼントの一部なんだよ」

20151219ずうっと歩いたこともプレゼントの一部なんだよアフリカのある村でのことです。一人の少年がキリスト教の宣教師に、クリスマスプレゼントを贈りました。それは美しく珍しい貝殻でした。少年はこの贈り物を手に入れるために、気の遠くなるような距離を歩いて往復したのでした。宣教師は感激し、お礼を言いました。少年は答えて言いました。「あのね、先生、ずうっと歩いたこともプレゼントの一部なんだよ。」(ガイドポスト編『とっておきのクリスマス』より)

私は、この少年のクリスマスプレゼントのお話が大好きです。贈り物とは、「品物」だけを指すのではなく、何を贈ろうか考え悩んだ時間や、その贈り物を探すために歩いた距離などのプロセスもすべてひっくるめたものなのだということを、この少年の言葉が教えているからです。

2000年前、イエス・キリストは、神の子の身分を捨てて、この地上に一人の赤ちゃんとしてお生まれになりました。このイエス・キリストこそが、神様から私たちへの最高の贈り物なのだと聖書は教えています。

このクリスマスの季節に、人間を救うため、この私を罪から救い出すために十字架にかかって死んでくださったイエス様に思いを巡らしたいのです。どんな気持ちでこの世界に降りて来られたのか、そしてどんな思いで人々のために働き、十字架に向かって歩まれたのか…。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

(新約聖書フィリピの信徒への手紙2:6~8 新共同訳)

あなたがこのクリスマスに、神様からの最高の贈り物をしっかりと受け取ることが出来ますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

12月12日音楽礼拝&クリスマスコンサート

12月5日に続いて、12日にもクリスマスコンサートが持たれました。5日は東京都内から男子大学生のグループが来て素晴らしい讃美の歌声を聴かせてくれましたが、12日は女子高校生・大学生のグループ「チューペット」の皆さんによる音楽礼拝と、クリスマスコンサートでした。

リコーダーやピアニカなど、懐かしい楽器によるクリスマスキャロルの演奏と朗読劇で、イエス様の誕生の場面を振り返りました。街でクリスマスキャロルを聞くたびに、「この曲、教会で聴いたな」と思い出すことができると思います。

心温まるひとときを過ごすことが出来ました。チューペットの皆さん、ありがとうございました! 2015-12-12 11.10.172015-12-12 13.13.012015-12-12 13.13.492015-12-12 13.28.492015-12-12 13.57.21

 

べスパーの報告

10月はお休みでしたので、2カ月ぶりのべスパーになりました。

今日の甲府は、朝は大雨、午後からは気温が上がり、晴れ間が出たり、にわか雨が降ったりと落ち着かない天気でした。

それでも、いつものように夕方教会に集まると、心が安らぎます。

みんなで讃美歌を歌い、それぞれが過ごした今週1週間を振り返り、分かち合います。

その後、みんなで聖書を読みます。今日の聖書箇所は、マタイ2章のイエス様誕生の場面でした。

夕食はカレーうどんでした。身も心も温まりました!

、 2015-12-11 17.05.292015-12-11 18.20.13

 

 

苦悩の谷が希望の門へ

それゆえ、わたしは彼女をいざなって/荒れ野に導き、その心に語りかけよう。そのところで、わたしはぶどう園を与え/アコル(苦悩)の谷を希望の門として与える。

(旧約聖書 ホセア2:16,17 新共同訳)


 

今週、聖書を読んでいて出会った言葉です。以前にも読んで励まされていたのでしょうか、赤い線が引いてありました。改めてこの聖句が心の中にスッと入ってきました。

神様が私たちを人生の「荒れ野」へと導かれることがあります。病や苦しみ、先の見えない困難の中で、どんなに必死に祈っても答えが与えられず、行く先に希望を見いだせないときがあります。しかし、そこがいかに厳しい場所であっても、神様が導かれた場所であるならば、「アコル(苦悩)の谷が希望の門へ」変えられるのだと聖書は約束しています。

20151212苦悩の谷が希望の門へ私たちには、「荒れ野」に引きずり出されなければ気づくことの出来ない自分の弱さや醜さがあります。しかしその場所で自分の本当の姿に気づき、その中で神様の恵みに触れるとき、苦悩が希望に変えられるのだとしたら、「荒れ野」こそが神様の愛が私たちに注がれる場所なのかも知れません。

今年も残すところ3週間足らずとなりました。2015年は皆さまにとってどんな1年だったでしょうか。良かったことよりも、苦しかったこと・今も解決していない問題ばかりが思い出されるような1年を過ごさざるを得なかったという方もおられるかもしれません。それぞれの「苦悩の谷」が、「希望の門」であることを、私たちが信仰によって体験することができますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は高尾山口の風景です。