日別アーカイブ: 2015年9月4日

へりくだる

「本当の謙虚さを持っていたら、どんな教会に行っても大丈夫だよ」

自分は将来牧師としてやっていけるのだろうかと不安でたまらなかった私に、恩師の牧師がかけてくださった言葉です。

この言葉を聞いたとき、「自分は能力も経験も足りない。でも『謙虚でいられたら大丈夫』なのであれば、自分でもやっていけるかもしれない」と思い、ホッとしてしまったことを今も覚えています。何と傲慢だったことでしょう…。後に教会で働くようになってから、この先生の言葉の本当の意味を少しずつ理解するようになっていきました。「本当の謙虚さ」を持つことが、自分にとってどれほど難しいことか。様々な出来事や人とのかかわりの中で自分が「本当の謙虚さ」からどれほどかけ離れているかを思い知らされることが、今も続いています。

20150905へりくだる

「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」ということわざがあります。これは、稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になっていくものだということを教えた言葉です。しかし私たちは、歳を重ね、経験を積むごとに、自分の知識や経験にしがみつき、「謙虚」であることが難しくなってしまう側面を持っていないでしょうか。

 

聖書は次のように私たちに勧めています。


 

互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

(新約聖書 フィリピの信徒への手紙2:5~8 新共同訳)

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※収穫を待つ稲穂(茨城県かすみがうら市で)。