月別アーカイブ: 2015年5月

次世代につなぐ

息子の中学校の運動会に行ってきました。天候も支えられ、楽しい一日を過ごすことが出来ました。

運動会で一番盛り上がる種目は…おそらくリレーでしょう。リレーにはドラマがあります。一番足が速い選手がいるチームが勝つとは限りません。ずっと先頭を走っていたチームが最後にバトンを落として逆転されてしまうこともあります。走る選手たちばかりでなく、観戦する人たちもハラハラどきどきしながら声援を送ります。

自分も学んだ母校のグラウンドを走る息子の姿を、両親と共に見守りながら、目の前で繰り広げられているリレーの勝敗だけではない、色々なことを考えさせられました。

20150530次世代につなぐ

 

「自分は、親や恩師、人生の先輩たちからバトンを受け取っただろうか?」

「受け取ったバトンをしっかり握って、自分のレースを走っているだろうか?」

「自分が受け取ったバトンを、次の世代に手渡しているだろうか?」

 

 

 


今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。

(旧約聖書 申命記6:6,7 新共同訳)


 

神様は聖書の言葉を通して、「あなたが受け取った大切なものを、次の世代にしっかりと手渡しなさい」と、繰り返し私たちに呼びかけておられます。私たち一人一人も、神様からの大切なバトンを託されたリレーの選手です。あなたは受け取ったバトンを、次の走者に渡しましたか?

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

神の言は生きていて、力があり

病気療養中のSさんが、5月18日早朝にしばしの眠りにつかれました。今でも目を閉じると、Sさんの笑顔、優しい中にも強い意志のこもったまなざし、力のある言葉が胸の中によみがえってきます。

葬儀の前に、ご家族の皆さんから色々なお話を聞かせていただきました。その中で非常に印象に残ったのは、Sさんの聖書にまつわる次のお話でした。

お孫さんが「おじいちゃんの聖書ちょうだい」と言って、Sさん愛用の聖書を譲り受けた。やがてお孫さんがその聖書を読むようになり、おじいさんの聖書に引かれた赤い線に導かれるように教会に通うようになり、洗礼を受け、今では牧師夫人として教会を支えておられるとのことでした。

聖書の言葉には人を活かす力があり、その力はその人のみにとどまるのでなく、周りの人たちや次の世代にも拡がっていくのだということを改めて教えられました。

20150523神の言は生きていて


 

 

神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。

(新約聖書ヘブル人への手紙4:12 口語訳)

 


 

自分はこの「生きた神の言葉の力」を知っているだろうか?どれほど体験して来ただろうか?…Sさんがそうだったように、自分も真摯な思いで聖書と向き合っていきたい、そんな思いにさせられました。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

包帯を巻く

自分が傷ついているとき、傷の痛みが気になります。そんなとき、ある人に「自分の傷のことばかり考えていると、なかなか傷の痛みを忘れることができないけど、誰かの傷に包帯を巻くことを考えていると、いつのまにか自分の痛みを忘れられることがあるよ」とアドバイスをいただいたことがありました。

クリスチャン作家の三浦綾子さんがその作品の中で次の言葉を残しておられます。

「包帯を巻いてあげられないのなら、むやみに人の傷にふれてはならない。」(三浦綾子『続・氷点』より)

三浦さんの言葉にありますように、むやみに「人の傷」にふれることは避けるべきでしょう。しかし、自分の傷ばかりに向いていた意識が、周りの人の回復や幸せに向けられていくとき、ほかでもない自分自身の傷が癒されていくということも確かにあるように思うのです。


 

わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて

虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。

更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え

さまよう貧しい人を家に招き入れ

裸の人に会えば衣を着せかけ

同胞に助けを惜しまないこと。

そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で

あなたの傷は速やかにいやされる。

(旧約聖書 イザヤ書58:6~8 新共同訳)


「(苦しみの中にある人に自分が出来ることをしていくとき)そうすれば…あなたの傷は速やかにいやされる」という聖書の言葉に希望を与えられます。わたしたちが誰かのためにさせていただくことは「誰かのため」であるばかりでなく「わたし自身のため」でもあるのです。わたしたちの様々な人とのつながりが、共に重荷を負い合い、共に癒される機会になっていきますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

20150516包帯を巻く

※陣馬山登山道からの富士山の眺めです。

第4回「み言葉と食事を食べる会」の報告

5月8日(金)17時より、「み言葉を食事を食べる会」が行われました。

今回も8名の方が参加してくださいました。

先月は「見失った羊のたとえ」(ルカによる福音書15:1~7)を読みましたが、今回は「放蕩息子のたとえ」(同15:11~32)を読み、それぞれに感じたことを分かち合いました。

自分自身もこの「放蕩息子のたとえ」に近い体験をしてきました!という体験談も聞かれて、イエス様が話されたこの譬え話が、とても身近なものに感じられました。

み言葉をいただいた後は・・・食事です!

今回は、山菜の天ぷらうどんでした!揚げたての山菜天ぷら、本当においしかったです!ごちそうさまでした。

次回は6月12日(金)17時からになります。皆さまのお越しを心よりお待ちしております。

2015-05-08 18.09.35

キリストの香り

ある教会員の方のお見舞いに病院を訪問したときのことです。いつものように病室に入ろうとすると、ベッドのほうから讃美歌の声が聞こえました。少し不思議に思いながら枕元を見ると、一人の看護師さんが、入院中のその方のために讃美歌を歌ってくださっているところでした。

「○○さんの教会の牧師の伊藤です」と挨拶をしますと、その看護師さんは少し照れくさそうに笑いながら「わたしの讃美歌、聞こえちゃいましたか?わたしもクリスチャンなんです。宗派は違うかもしれないけど、○○さんも知っている讃美歌があればいいな、と思って。」と話してくださいました。枕元を見ると、見やすいように拡大コピーされた讃美歌の楽譜や、主の祈りの言葉などがあり、この看護師さんが病床で過ごしているこの方のためにクリスチャンとして出来る限りのことをしようとしてくださっている、その思いが伝わってきました。

使徒パウロはこのような言葉を残しています。


神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。

(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 2:14,15 新共同訳)


 

20150509キリストの香り

その日、病室で「キリストの香り」に触れることが出来ました。

「香り」は本人が自覚していても、あるいは自覚していなくても周囲に伝わっていきます。

私たちも「キリストの香り」を放つ者とさせていただきたいものですね。

 

 

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋