月別アーカイブ: 2015年2月

昼も、そして夜も

「本音の言葉」には人の心を打つ力があります。

詩編を読んでいると、特にそのように感じます。詩編記者は、苦しみの中から神様に向かって叫び、訴えています。「え?ここまで言ってしまっていいの?」と思うような本音の言葉を神様にぶつけている箇所がたくさんあります。そしてそれらの叫びの合間に、神様への讃美の言葉、信仰の言い表しの言葉がちりばめられているのです。

ときに神様を讃美し、またあるときには神様に苦しみを訴える。これが私たちの現実でもあろうかと思います。喜びも苦しみも、本音で神様にぶつけ続けた詩編記者が残した次の言葉に、ハッとさせられました。


昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです。

(旧約聖書・詩編74:16 新共同訳)


詩編記者がそうであったように、私たちの人生にも「昼」「夜」があります。光が届き、先を見通すことのできるときだけでなく、お先真っ暗に感じられる試練の夜にも、神様が共にいてくださることを聖書は約束しています。

物事が順調に進んでいるときにも、そして逆風に苦しむ試練の日にも「昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです」というこの言葉は、移ろいやすい私たちの心を神様に立ち返らせてくれる力を持っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

  • 20150228昼も、そして夜もちょうど1年前の甲州街道・大垂水峠での写真です。今年はこのまま大雪にならずに春を迎えられるでしょうか…。

主が救い出されたことを思い起こしなさい

先週に続いて「忘れる」ということを考えている中で、旧約聖書に考えさせられる言葉がありました。

自分のもとに売られてきた奴隷が6年間働いたならば、7年目には彼らを解放してやりなさい、しかも彼らに惜しみない贈り物をもたせなさい、と神様はイスラエルの民に言われました(申命記15:12~14)。

その理由について続きの箇所に次のように書かれています。


 

「エジプトの国で奴隷であったあなたを、あなたの神、主が救い出されたことを思い起こしなさい。それゆえ、わたしは今日、このことを命じるのである。」

(申命記15:15 新共同訳)


 

エジプトで奴隷だったイスラエルの人々も、時が流れ、環境の変化の中でかつての苦しみや痛みを忘れ、実際にエジプトで奴隷生活を経験した世代はいなくなったことでしょう。人間は「忘れる」生き物なのです。そんな人間に神様は言われるのです。「かつてあなたが奴隷だった日のことを、そしてわたしがあなたをそこから救い出したことを忘れないようにしなさい」と。

苦しみを経て人は自分に対して謙虚に、そして他者に優しくなることが出来ます。その苦しみから自分を救い出してくださった神様に感謝します。しかし、苦しみが過去のものになってしてしまうとき、神様への感謝も、同じような苦しみの中にある人への優しい気持ちも風化してしまうのです。

私たちの周りに、私のかつての傷、かつての苦しみのゆえに、分かり合える傷・苦しみを抱えておられる方がおられないでしょうか。私を救い出された神様の御手を思い起こし、苦しみの中にある方のために祈りたいと思います。

20150221主が救い出されたことを思い起こしなさい

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※今週出会った風景:雨上がりの小径。

青年による讃美とメッセージ

2月14日の安息日は、東京近郊の教会から青年たちが集まり、安息日学校・礼拝のプログラムを担当してくださいました。

2015-02-14 09.47.10

青年向けの伝道の働きの取り組みの報告や

 

 

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今日のために書き下ろした「少年サムエル」の紙芝居です。

 

 

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特別讃美歌の様子です。

 

 

 

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自分がイエス様を信じる信仰に導かれた証しや、礼拝説教を担当してくださいました。

神様がこのような若い方々を通して働いておられることをみんなで感じることのできた祝福された安息日でした。

 

 

 

 

第一回「み言葉と食事を食べる会」の報告

2月13日(金)17時より、甲府キリスト教会で、第一回「み言葉と食事を食べる会」がもたれました。

翌日の安息日プログラムを担当された東京近郊の教会の青年たちも加わって、賑やかな楽しい集まりになりました。

初めに礼拝堂に集まり、自己紹介(初対面の方々もいましたので)の時間をもちました。

2015-02-13 17.26.48

その後、みんなで讃美歌を歌い、聖書の言葉を読みました。

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」

(ヨハネの黙示録3:20 新共同訳聖書)

イエス様は私たちの心の扉をノックし、待っていてくださる。私たちが扉を開くなら、イエス様は中に入って共に楽しい食事を席についてくださる、という約束をみんなで感謝しました。

サンセットの祈りをささげ、みんなで食事をいただきました。

2015-02-13 18.01.00

 

今日のメニューは、山梨名物の「ほうとう」です!

身も心も温まりました!

次回の「み言葉と食事を食べる会」は、3月13日(金)17時からの予定です。

皆さまのお越しをお待ちしております。

 

 

目を留められる神

「わたしのこと、覚えていますか?」

そう声をかけられてドキッとした経験がありませんか?

わたしはあります。たとえば、立派に成長して見違えるほど立派になった青年としばらくぶりに再会して、とっさに名前が出てこないようなとき、冷や汗をかきながら必死に記憶の糸を手繰り寄せるようなときです(「○○です。覚えていますか?」って言ってくれたらとても助かるんだけど…と思いながら)。

しかし、この「わたしのこと、覚えていますか?」という言葉は、どんな人の心の中にもある「自分のことを心に留めている人がいるのだろうか」という根源的な問いでもあるように思うのです。

イエス様の隣りで十字架につけられた犯罪人は、死を前にして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言いました(新約聖書 ルカによる福音書23:42 新共同訳)。

物事がうまくいかないとき、人間関係が行き詰ってしまうとき、手痛い失敗をして自己嫌悪に苛まれるとき、わたしたちは「自分なんていない方がよかったのではないか」とか「だれも自分のことを必要としていないのでは」と思い悩みます。

しかし聖書によれば、神様はそんなわたしたちを決して忘れることなく、どんな状況にあっても目に留めていてくださるというのです。


 

主は天から見渡し20150214目を留められる神 

人の子らをひとりひとりご覧になり

御座を置かれた所から 

地に住むすべての人に目を留められる。

人の心をすべて造られた主は 

彼らのわざをことごとく見分けられる。

(旧約聖書・詩編33:13~15 新共同訳)

 


私たちの人生には、冷たい北風を必死に耐え続けなければならないときがあります。

そんなときにも「神様が目を留めていてくださる」この約束から平安を受け取って生きていきたいと思います。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋