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「寝耳に水」

エジプトの地で、正体を知らないながらも楽しい食事の時間を過ごした兄弟たちは、食料を沢山詰め込んで帰路につきました。

 1度目に来た時は、スパイ扱いをされ、兄弟を人質にとられ、更には、大事な弟を身代金として連れて来なければならない。そして、荷物の中には支払ったはずの銀が入れられていた。理解に苦しむ様々な状況にあっても、誠実に対応し、最後は晴れ晴れした気持ちでエジプトを後にしました。

 そんな解放感あふれる帰り道、彼らはエジプトから追いかけて来た使者にこのような弁明の言葉を言うことになってしまいました。

すると、彼らは言った。「御主人様、どうしてそのようなことをおっしゃるのですか。僕どもがそんなことをするなどとは、とんでもないことです。袋の口で見つけた銀でさえ、わたしどもはカナンの地から持ち帰って、御主人様にお返ししたではありませんか。そのわたしどもがどうして、あなたの御主君のお屋敷から銀や金を盗んだりするでしょうか。僕どもの中のだれからでも杯が見つかれば、その者は死罪に、ほかのわたしどもも皆、御主人様の奴隷になります。」

(聖書 創世記 44:79 新共同訳)

またもや、自分たちには全く身に覚えのない、まさに寝耳に水というようなことが起こっていたのでした。

 ついさっきまで自分たちをもてなしてくれていたあのエジプトの偉い人物がとても大切にしていたマイカップを盗んだという容疑がかけられていたのでした。これは、ただのお気に入りの杯ではありません。エジプトでは、これをもって占いを行ったり、毒殺を防ぐためにこのカップでそれを見分けたりするというようなかなり貴重なものだったようです。

 しかし、実はこれもヨセフさんが仕組んだ計画でした。

 ヨセフは執事に命じた。「あの人たちの袋を、運べるかぎり多くの食糧でいっぱいにし、めいめいの銀をそれぞれの袋の口のところへ入れておけ。それから、わたしの杯、あの銀の杯を、いちばん年下の者の袋の口に、穀物の代金の銀と一緒に入れておきなさい。」執事はヨセフが命じたとおりにした。 (聖書 創世記 44:12新共同訳)

 ヨセフさんは、兄弟が全て揃ったところで、最後に兄たちを試すための計画をたてて実行に移したのでした。この杯が発見された時、兄たちはどうするのか。ヨセフさんはそれを見ようとしていたのでした。

 まだ、兄弟たちは本当に杯が自分たちの誰かが所持しているとは思っていません。そんなことがあるはずがない。もしそうなら死罪にでも奴隷にでもなります。そう言って身の潔白を主張したのでした。

「優遇されたとしても」

突然ヨセフさんの屋敷へと連れて来られた兄弟たちは、奴隷にするためではなく、純粋に食事に招待をされたということを知り、その時を待ちました。

 ヨセフさんが帰宅すると、兄弟たちは持ってきた贈り物とともにヨセフさんに最大の敬意をあらわしました。

 ヨセフさんは、兄たちが約束通り末の弟ベニヤミンを連れて来たことを確認しました。

ヨセフは急いで席を外した。弟懐かしさに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになったからである。ヨセフは奥の部屋に入ると泣いた。(聖書 創世記 43:30 新共同訳)

 ヨセフさんが兄弟たちの前で泣きそうになり、隠れて泣いたのは2度目でした。1度目は、最初に兄弟たちがエジプトにやってきた際、自分に対してどのような思いを抱いているのかを知った時でした。

 今回は、長らく会っていなかった実の弟の姿を見ることができたことへの感動での涙でした。

 しかし、ここで取り乱してしまっては、ヨセフさんの計画が狂ってしまいます。まだ、自分の正体は明かさず、気を取り直して食事の時間を始めました。

兄弟たちは、いちばん上の兄から末の弟まで、ヨセフに向かって年齢順に座らされたので、驚いて互いに顔を見合わせた。そして、料理がヨセフの前からみんなのところへ配られたが、ベニヤミンの分はほかのだれの分より五倍も多かった。一同はぶどう酒を飲み、ヨセフと共に酒宴を楽しんだ。(聖書 創世記 43:3334 新共同訳)

兄弟たちは、何故エジプトの偉い人物が自分たち兄弟の年の順番を知っているのだろうかと驚きました。勿論、それを理由に「もしかしたらヨセフではないだろうか?」と疑うことはありませんでした。ただただ驚いたことと思います。

また、末のベニヤミンさんには他の兄弟よりも多くのものを提供しました。エジプトの文化では、その席にいる一番上の位のゲストに対して最上のもてなしをするというものがあったそうです。つまり、このゲストの中で、一番末の弟が誰よりも大事なゲストとして扱われたのでした。

昔の兄たちは、末の弟が誰よりも優遇されるのを見て殺意を覚えていました。ヨセフさんは、そのような意味でも、末の弟を誰よりも優遇し、兄たちの心がどのように変わったのかを見ていたのかもしれません。

しかし、結果はみんなで楽しい食事の時間を過ごすことができたということでした。そこにいた全員の心に互いを愛し大切にするという思いがあったからこその楽しい時間だったのではないでしょうか。

「恐怖を与えるためではなく」

兄弟たちは、ようやく父ヤコブさんの了解を得て、末の弟ベニヤミンさんを連れて再びエジプトの地へと出発しました。

 持ち物の中には、カナンの地で獲れる蜜やナッツ等の名産品、そして、支払ったはずなのに袋の中に入っていた銀を詰め込み、しっかりと準備を整えました。

 さて、彼らがエジプトに戻って来たのを知ったヨセフさんは、確かに末の弟ベニヤミンさんも一緒であることを確認すると、昼食に招待するようにとの命を出しました。

 そこで、その命を受けた執事さんは、兄弟たちをヨセフさんの屋敷へと案内したのでした。

 ところが、昼食へ招待されているということを理解していなかったのか、兄弟たちはヨセフさんの屋敷へと連れて行かれるこの状況に非常に恐怖を感じたのでした。

 彼らからすると、袋に入っていた銀の件で自分たちは今から捕まえられ、奴隷にされてしまうんだという最悪の事態に思えたのでした。

 そこで、屋敷に入る直前、執事さんに話しかけ、自分たちの袋に入っていた銀の件を正直に打ち明けました。

 そして、何故そんなことが起こったのか自分たちにはさっぱりわからないと必死に身の潔白を訴えました。

 すると、執事さんからこんな言葉が返って来ました。

執事は、「御安心なさい。心配することはありません。きっと、あなたたちの神、あなたたちの父の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう。あなたたちの銀は、このわたしが確かに受け取ったのですから」と答え、シメオンを兄弟たちのところへ連れて来た。(聖書 創世記 43:23 新共同訳)

 もしかすると、肩透かしを食らったような気分だったかもしれません。銀が袋に戻されていたにもかかわらず、間違いなく支払い済みであったということが告げられました。そして、その袋に入っていた銀は、神様が入れてくださったものでしょう。そのように告げられました。

 そして、彼らのもとに人質として捕らえられていたシメオンさんが連れて来られました。これを見て、本当に自分たちは捕まえられて奴隷にされるために連れてこられたわけではないんだと安心することができたのではないかと思います。

 私たちが神様に招かれる時、ある人にとっては自分の罪が責め立てられて、救いようもない状態が待っているのではないかと考えてしまうかもしれません。

 しかし、神様が私たちを招いてくださるのは、私たちの罪を責めるためではなく、私たちの罪を赦すためです。

 そして、その赦しは神様から与えられる大きな恵みです。

「責任を負う」

愛する末息子のベニヤミンさんだけは、絶対に手放したくないという父の強い思いのため、兄弟たちはエジプトへ行くことができずに時が経とうとしていました。

 しかし、飢饉は続いています。エジプトから持ち帰った食糧も終わりが見え始めて来ました。

 これを機に、再度エジプトへ食糧を買いに行かざるを得ないという話が持ち上がりました。父ヤコブさんからエジプトへのお遣いの指示を受けた時、兄弟の1人が言いました。

ユダは、父イスラエルに言った。「あの子をぜひわたしと一緒に行かせてください。それなら、すぐにでも行って参ります。そうすれば、我々も、あなたも、子供たちも死なずに生き延びることができます。あの子のことはわたしが保障します。その責任をわたしに負わせてください。もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らず、無事な姿をお目にかけられないようなことにでもなれば、わたしがあなたに対して生涯その罪を負い続けます。

(聖書 創世記 43:89 新共同訳)

 長男ルベンさんの息子の命をかけるという説得が拒まれてしまった今、回りまわってユダさんが口を開きました。ユダさんは、弟ベニヤミンの身の保証を約束し、万が一のことがあれば自分が生涯その罪を負い続けるという強い意志を持って父にかけあったのでした。

 そして、ついに父はその説得に応じることとなりました。

では、弟を連れて、早速その人のところへ戻りなさい。どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。」

(聖書 創世記1314 新共同訳)

 ユダさんの言葉は、父ヤコブさんに対してどのように刺さったかはわかりません。もしかすると、息子たちから何を言われても半信半疑でしか受け取ることができなかったかもしれません。しかし、万が一の時には自分がその罪を負い続けるという決心の言葉は、父の心を動かしたのではないかと思います。

 そして、ユダさんの言った「あの子のことはわたしが保証します」という言葉は、神様が私たち1人1人の救いに対して言ってくださっている言葉でもあります。

「あなたのことはわたしが保証します」と言ってくださる神様に信頼する歩みをしていきましょう。

父の嘆き

1人を人質に残して父のもとへと戻って来た兄たちは、勇気を出して事情を説明しました。しかし、父の反応は予想通りのものでした。

 父ヤコブは息子たちに言った。 「お前たちは、わたしから次々と子供を奪ってしまった。ヨセフを失い、シメオンも失った。その上ベニヤミンまでも取り上げるのか。みんなわたしを苦しめることばかりだ。」(創世記 42:36新共同訳)

 ヨセフさんを失った悲しみの大きさに加え、異国の地でシメオンさんまで失い、更には今一番大切にしているヨセフさんの実の弟にあたるベニヤミンさんまでも失う危険性があるという状況には、さすがに良しとすることはできませんでした。

 それでも父を説得するために長男のルベンさんは勝負に出ました。

ルベンは父に言った。 「もしも、お父さんのところにベニヤミンを連れ帰らないようなことがあれば、わたしの二人の息子を殺してもかまいません。どうか、彼をわたしに任せてください。わたしが、必ずお父さんのところに連れ帰りますから。」

(創世記 42:37 新共同訳)

もしも不幸な結果に終わった場合は、自分の2人の息子の命を差し出す。これが自分の2人の息子を失った父ヤコブさんに対して、ルベンさんが持ちかけた条件でした。

しかし、ヤコブは言った。 「いや、この子だけは、お前たちと一緒に行かせるわけにはいかぬ。この子の兄は死んでしまい、残っているのは、この子だけではないか。お前たちの旅の途中で、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちは、この白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのだ。」(創世記 42:38 新共同訳)

 息子を失った辛さを痛いほど知っている父ヤコブさんからすると、ルベンさんの提案した条件はあまりにも軽率に思えたかもしれません。

 そして、この兄弟たちが過去に行ってきた悪行に心を痛めてきたヤコブさんは、自分の大切な末の息子の運命をゆだねることは到底できないと思っていたことと思います。

 何よりも、また息子を失うことだけはしたくない。そのような気持ちでいっぱいいっぱいでした。

 父親が大事な息子を失うということがどれだけ辛いのかが伝わってくる一方で、父なる神様はそのような思いで独り子である御子イエス・キリストを私たちのために地上に送ってくださったのだということに改めて気が付かされます。

 その大事な独り子が痛み苦しみ、そして血を流して命を落とすことによって、私たちを罪から救ってくださいました。