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わたしは新しい事をなす / Behold, I am doing the new thing

啓蟄の頃となりました。広辞苑によると、「啓蟄」とは、「冬ごもりの虫がはい出る二十四節気の一つ。太陽暦の3月5日頃にあたる」とのことです。今年は暖冬だったとはいえ、長く厳しい寒さの冬が終わり、春の訪れの気配を感じるようになると心がうきうきしてきます。しかしその一方で、春は旅立ち、別れや新しい出発の季節でもあります。新しい始まりというのは、何かの終わりであることを思うと、物悲しい気持ちにさせられる季節でもあります。

そんな気持ちで聖書を開くと、次の御言葉が与えられました。

あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。(旧約聖書 イザヤ43:18,19 口語訳)

わたしたちの人生には、後ろを振り返りたくなる時、いましばらくここに留まりたい!という気持ちにさせられる時があります。しかし、神様はわたしたちがこれから進んで行こうとしている先に、わたしたちが想像も出来ないような素晴らしい経験や祝福、様々な出会いを用意していて下さるのだ、そんな気持ちにさせられました。新しい旅立ちを控えた方々に、そして旅立つ人たちを見送ろうとしている方々に、神様からの特別の祝福が注がれますように。

 

※朝のジョギングコースで(3月8日撮影)。

Winter is almost over, and spring is approaching. Spring is a new start season in Japanese society. And that means that there are many parting there. When winter is over and flowers begin to bloom my heart is exciting. However, my heart is sad when I think about parting with close people.

When I opened the Bible with such feelings, God gave me this Bible verse.

“Remember not the former things,
    nor consider the things of old.
Behold, I am doing a new thing;
    now it springs forth, do you not perceive it?
I will make a way in the wilderness
    and rivers in the desert.(Isaiah 43:18,19 ESV)

We may want to feel immersed in past memories. And we may want to stay present place. However, God is preparing many blessings at new place that we can’t imagine. I pray that God bless those who start new departures.

双方向のつながり / Interactive connection

神様は双方向のつながりを大切にされるお方です。この聖句は、神様がどれほど私たちを愛してくださっているか、そして神様がどれほど私たちの愛を求めておられるかをあらわしています。

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。新約聖書 ヨハネの黙示録3:20 新共同訳)

同じ食卓で食事をしていても、お互いの心が向き合っていなければ、本当に「共に食事をした」とは言えません。誰かが私と食事を共にしようとして同じテーブルについているのに、私の心がそこにあらず、ということがあり得るのです。それはとても寂しいことです。神様は私たちと共に食卓につき、一緒に食事をしようと私たちの心の戸をノックしてくださっています。私たちはそのような神様からの招きに、どのように応じるでしょうか。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(新約聖書 ヨハネによる福音書15:5 新共同訳)

ここでも、「人がわたしにつながっており」「わたしがその人につながっていれば」という言葉から、神様が双方向のつながりを大切にしておられることが分かります。関係とは、双方向であってこそ、良好なものになります。お互いをより深く理解することができるようになっていくのです。神様をもっと知り、神様との関係を深めていきたいと願っています。

 

God emphasizes interactive connections. This Scripture describes how much God emphasizes interactive relationship.

Here I am! I stand at the door and knock. If anyone hears my voice and opens the door, I will come in and eat with him. And he will eat with me.(Revelation 3:20 ICB)

For example, suppose that when I am eating lunch with my friend, I am not talking to a friend at all and just watching my cell phone. At that time, my body is near him, but my heart is not with him. Even if he is talking to me. That is a sad scene.

Jesus wants to have meal with us, so He is knocking our door of the heart. How do we respond to it?

I am the vine, and you are the branches. If a person remains in me and I remain in him, then he produces much fruit. But without me he can do nothing. (John 15:5 ICB)

Jesus said that “If a person remains in me and I remain in him”.

It reminds us how important the interactive relationship is important. When we connect with each other, the relationship will be even stronger. I wish that relationship between God and us will be getting stronger.

神の御前で安心できます / Reassure our heart before him

アダムとエバは、エデンの園で幸せな日々を過ごしていましたが、神様との約束を破り、木の実を取って食べてしまいました。その後彼らが神様と再会したときの様子が創世記3章に書かれています。二人は神様の足音を聞いたとき、神様の顔を避けて隠れようとしました。誰かとの関係が破綻して、心に良心の呵責を覚えるとき、私たちはその人を避けようとします。まっすぐに向き合うことが出来なくなってしまうのです。罪は私たちの関係(神様に対して・人に対して)を壊します。私たちは皆、この罪の影響下に生きています。不安や気まずさ、疎遠になってしまった関係に囲まれて私たちは生きています。しかし聖書には素晴らしい約束が与えられています。

イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。…子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。

(新約聖書 ヨハネの手紙第一3:16,18~20 新共同訳)

イエス様が十字架によって私たちに与えてくださった愛は、破綻していた私たちの関係を修復する力あるものです。イエス様の愛のゆえに、どんな人でも神様の前に心の底から安らぐことが出来ます。仲違いしていた人が、愛し受け入れ合うことができるようになるのです。

※八王子市・木下沢梅林にて(撮影:2018年3月)。

At first, Adam and Eve had a happy life at the Garden of Eden. But when they disobeyed from God and ate the fruit of the tree, they lost peace. They tried to hide from God when they heard the footsteps of God in the garden. Adam told God. “I heard the sound of you in the garden, I was afraid.”

When the relationship breaks down, we try to avoid that person. It makes it difficult for us to see him or her face. Sin destroys relationships. The relationship between people and God, and the relationship between people and people.

Every human being is under the influence of such a sin. But the Bible gives us a wonderful promise.

 This is how we know what real love is: Jesus gave his life for us. ・・・My children, our love should not be only words and talk. Our love must be true love. And we should show that love by what we do. This is the way we know that we belong to the way of truth. When our hearts make us feel guilty, we can still have peace before God. God is greater than our hearts, and he knows everything.  (1 John 3:16,18-20 ICB)

Jesus gave us real love through the Cross. It will repair our broken relationship. Because of Jesus’ love, anyone can rest assured in front of God. Because of Jesus’ love, we can reconcile.

主が良いと思われることを行ってくださるように / May the Lord’s will be done

私たちは神様に祈ります。私自身の祈りを振り返ってみると、祈りの中には神様への讃美や感謝もありますが、その多くは「願い」です。「神様、わたしが取り組んでいる計画がうまくいくようにしてください。」「わたしの願いが実現しますように。」…といった具合です。それらの祈りが間違っている訳では決してありません。「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(フィリピ4:6)と聖書に書かれているからです。

しかしその一方で聖書は、私たちの願望よりも神様のみ旨が成就することを求めるように教えています。イエス様は十字架を前にしてこう祈られました。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22:42)。

ある朝、聖書を読んでいると、次の言葉に目が留まりました。

「我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように」(歴代誌上19:13)。

これは、ダビデ王の家臣だったヨアブが戦いに出ていくときに語った言葉です。彼が自らの勝利や成功を願っていなかったはずはありません。しかし彼は戦いの前に自軍の勝利を祈るのではなく、「主が良いと思われること」が実現することを願い求めたのです。

以前読んだ本の一節が思い出されます。「祈りとは、自分の願いが聖霊の働きによって神のみこころに合致していくプロセスである」(『今日における奇蹟・いやし・預言』172ページ)。

私の祈りが、単なる自己実現の要求ではなく、神様のご計画の実現を心から願い求めるものへと日々作り変えられますように。

※山梨県・茅ケ岳からの富士山(撮影:2月10日)

We pray to God. When I looked back on my prayers, there was a few appreciation and praise, but most of them were “wishes”.

For example, “God, please lead my plan to success.” “God, please make my wish come true.”

They are not wrong prayers. It is written in the Bible as follows.

pray about everything. Tell God what you need, and thank him for all he has done.(Philippians 4:6 NLT) 

However, the Bible teaches us to ask God’s will rather than our wishes. This is a prayer of Jesus before the cross.

“Father, if you are willing, please take this cup of suffering away from me. Yet I want your will to be done, not mine.”  (Luke 22:42 NLT)

One morning I noticed this word when I was reading the Bible.

“Be courageous! Let us fight bravely for our people and the cities of our God. May the Lord’s will be done.”(1Chronicles 19:13 NLT)

This is the word David’s servant Joab spoke before the battle. He should have wanted to win the battle. But he demanded for achieve of God’s will, not his own victory.

It reminded me a sentence that I have read before.

“Prayer is the process by which my wish matches God’s will by the work of the Holy Spirit.”

I hope that my prayers will match God’s will.

ねたむ神 / Jealous God

私が小学生のころ、密かに思いを寄せていた女の子がいました。その子のことが好きなのに、そんなそぶりは決して見せないようにしながらも、いつもその子のことが気になっていました。他の男子がその子と仲良く話している姿を見ると、胸中穏やかではありませんでした。好きなはずの女の子にちょっかいを出し、時に悪態をついていたことを振り返ると、小学生だった自分の心の中に、確かに「ねたみ」という感情があったなあ、と思います。

「ねたみ」は非常に強い感情です。自分の方を向いて欲しい、自分を認めて欲しい、自分に愛情を注いで欲しい!という欲求が満たされないとき、私たちは「ねたみ」を覚えます。ドロドロとした、この感情を自分の力で支配することはほとんど不可能です。自分の心から「ねたみ」という感情が消えてなくなればいいのに!と思うことがしばしばです。

あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。…あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから…。(旧約聖書 出エジプト20:3,5 口語訳)

神様は十戒の中でご自身を「ねたむ神である」と言われました。神様のご品性は私たちとは全く違うはずなのに、なぜ愛の神様がご自身を「ねたむ神」と言われたのでしょうか?それは、神様がそれほど強く私たちを愛してくださっているからです。私たちの思いが、他のものに向いてしまうとき、神様の心は深く傷つくのです。「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」と言われるほど深い愛を、この「ねたむ神」という言葉はあらわしているのではないでしょうか。

※高尾山麓の美味しい蕎麦屋さんで(撮影:1月21日)。

When I was a child, I liked a girl. However, I was careful not to express to my attitude that I like her. I liked her, so I was looking at her all the time.

When I saw another boy talking with her very friendly, my heart was very upset. At that time I noticed that “I am jealous.”

Jealous is a very strong emotion. We are jealous when we can not receive the affection or interest we want. We hardly can dominate it by myself. I often want to erase jealousy from my heart.

 “You must not have any other gods except me.… You must not worship or serve any idol. This is because I, the Lord your God, am a jealous God. (Exodus 20:3,5 ICB)

According to the Ten Commandments, God says about Himself “I am jealous God.”

Why did God say so? The character of God is different from us. He has perfect love. Because God loves us so much. When our hearts turn to other things, God grieves deeply. God said that  “You must not have any other gods except me.” He is seeking us so strongly. I think that God’s so strong love is expressed in this word.