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「彼は笑う」

神様の子どもを与えるという約束に対して、アブラハムさんは笑いました。どんな心境で笑ったのかは書かれていません。しかし、アブラハムさんは笑いました。

そして、その後、妻のサラさんも年老いた自分たち夫婦に子どもが生まれるというお告げを耳にした時、ひそかに笑いました。この笑いは、そんなことがあるはずがないという笑いでした。

非現実的なこと、そして、何度も言われつつ未だに全く実現していない出来事。この現実を目の前にして、更に重ねて約束をなさる神様の言葉に対し、二人の夫婦は笑いました。

さて、神様はいよいよ現実味を帯びた言及を始められました。そこでは生まれて来る子の性別と付けるべき名が告げられました。

「あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。」(聖書 創世記17:19 新共同訳)

神様の約束に対して、笑ってしまった夫婦。この夫婦に対し神様が告げられたのは、あなた方の間に生まれる男の子にイサクという名前をつけなさいというものでした。そして、そのイサクという名前の意味は、彼は笑うという意味でした。

約束を笑ってしまった夫婦でしたが、この老夫婦が諦めずに神様の約束を信じ続けた先には、心の底から喜ぶことができる大きな祝福が待っていました。

このイサクという生まれて来ることになっている男の子は、この夫婦を疑いからの笑いから、心の底からの喜びへと変えてくれる存在でした。

約束を信じて最後まで忍耐する先に、喜びが待っています。

「改名」

聖書に登場する人物たちは、皆様々な意味を持つ名前がつけられていました。それは、私たちの名前にもこのように生きていってほしいという意味が込められているように、まさに彼らの人生を表すものでした。当時は今よりも更に名前は重要なものとして考えられていました。

アブラハムさんと奥さんのサラさんも、そのような名前に大きな意味を込められていた2人でした。

この夫婦は最初からアブラハムとサラという名前ではありませんでした。彼らには元々違う名前がついていました。アブラハムさんはアブラム、サラさんはサライという名前を持って長い人生を歩んできました。

しかし、神様は、この夫婦を祝福するにあたり、彼らと契約を結ばれました。その際この2人に新たな名前を名乗るようにと告げられました。

神様はアブラムさんに言われました。

「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。」(聖書 創世記17:4∼6 新共同訳)

そして、サライさんに関してもこのように言われました。

「神はアブラハムに言われた。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸国民の王となる者たちが彼女から出る。」」(聖書 創世記17:15∼16 新共同訳)

この夫婦の名前を変えてまで絶対に約束を果たすということを告げられた神様でした。そして、後にこの名前の通り神様の約束が果たされていくことになりました。

 

「全能の神様」

長らく子どもに恵まれなかったアブラハムさんでしたが、神様から与えられた子どもを与えるという約束を信じました。

しかし、事件が起こりました。アブラハムさんの奥さんサラさんは、アブラハムさんと同じように高齢となってきていたため、子どもを生むことが現実的には難しいと思うようになりました。

そこでサラさんは、自分の女奴隷であったハガルさんが自分の代わりに子どもを産むようにしてはどうかとアブラハムさんに相談を持ちかけました。

本当なら、神様はアブラハムさんとサラさんの間に子どもを与えると約束をしておられたはずでした。そして、この夫婦に対して、最後までそれを信じて待っていてほしいと願っておられました。

しかし、その神様の約束を信じきることができず、待つことができなかったこの夫婦は神様の計画ではなく、自分たちの計画をたてて実行に移してしまいました。

その後、色々なトラブルが起こってしまいますが、神様はそんなアブラハムさんに対して驚くようなことを言われました。

「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」(聖書 創世記17:1∼2 新共同訳)

信じると言いながらも自分たちで勝手に進めてしまったアブラハムさんに対して、もう一度励ましの約束をされたのでした。

不可能だと思うことでも、全能の神様にできないことはありません。その全能の神様は、必ず約束を成就される方です。そして、信じきることができない私たちを今日も励ましてくださいます。

 

「信じる」

アブラハムさんは、神様に導かれ、祝福するという約束が与えられました。しかし、アブラハムさんには一つ心配なことがありました。

それは、アブラハムさんには子どもが与えられていなかったということでした。しかも、アブラハムさんは旅に出た時に75歳という年齢に達していました。

そんなアブラハムさんは神様に対し、子どもがいない自分はどのように祝福されるのでしょうかと問います。そして、アブラハムさんは養子をもらって後継ぎにしようとしていることを神様に告げました。

すると神様はこのように言われました。

「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」(聖書 創世記15:4 新共同訳)

神様は、高齢となっても子どもが与えられていなかったアブラハムさんに対して、あなたと奥さんの間から生まれる子どもがあなたの跡を継ぐんだよと言われました。

とても信じがたい言葉だったかもしれません。もしかすると、そんなことはあり得ない。もう無理だ。そう言って神様に背を向けていてもおかしくなかったかもしれません。

しかし、アブラハムさんは違いました。彼はその神様の言葉に対してこのように向き合いました。

「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(聖書 創世記15:6 新共同訳)

まだ実現していないこと、見ていないことを信じること。これが、アブラハムさんの信仰でした。

聖書には神様の約束が沢山書かれています。それは、実際にはまだ目に見えないかもしれません。しかし、神様は私たちに対し、それでも約束を信じてほしいと願っておられます。

「わたしはあなたの盾」

神様の守りの中で甥のロトさんを救出したアブラハムさんでしたが、不安な気持ちもありました。戦いに勝ったということは、相手の国から恨みを買うことになります。今度は自分の所に攻め込まれてしまうかもしれない。そんな不安がありました。そこで、神様はアブラハムさんにこう言われました。

「これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」(聖書 創世記15:1 新共同訳)

もし、アブラハムさんが自分で作戦をたて、自分の戦略に頼り、自分の力で敵国に攻め込んでいたとしたら、アブラハムさんの不安は尽きないものになっていたかもしれません。

しかし、アブラハムさんは、神様に助言を求め、神様の導きを求め、神様に従ってロトさんの救出へと向かいました。その結果、神様はアブラハムさんに勝利を与えられました。

これは、アブラハムさんの打ち立てた戦略や、アブラハムさんの持っていた力で治めた勝利ではなく、アブラハムさんを導かれた神様の力による勝利でした。

その勝利を与えた神様が、「わたしはあなたの盾」と改めてアブラハムさんに語りかけられたのでした。不安をもつことなく、盾であるわたしを信じるようにと神様はアブラハムさんを励まされました。

私たちも、神様に助け求め、その示された道に従って歩んで行く時、神様は私たちの盾となってくださいます。