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「与え主への感謝の意」

孤独の旅の途中、夢を通して神様の力強い約束の言葉を聞いたヤコブさんは、眠りから覚めるとこのように言いました。

「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」(聖書 創世記28:16 新共同訳)

自分は今孤独な旅をしていて、たった独りだと思っていたけれども、目には見えない神様がいつも共にいてくださるんだという確信を得たのでした。ヤコブさんにとって本当に心強い約束だったことと思います。

ヤコブさんは目が覚めると、自分が枕した場所に神の家という名前をつけました。

そして、神様から祝福の言葉を受けたヤコブさんは、神様に対してこのような誓願を立てました。

「ヤコブはまた、誓願を立てて言った。『神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。』」(聖書 創世記28:20∼22 新共同訳)

全て必要なものを与えてくださる神様に対して、その与えてくださったものの中から十分の一を神様にささげるという約束でした。これは、ヤコブさんの神様に対する心からの感謝を表すものでした。

私たちは、それぞれの状況や環境によって、持っているものの大小があるかもしれません。しかし、私たちの持っているものは、全て神様が与えてくださったものです。私たちもヤコブさんのように心からの感謝をもって、与え主である神様にその意を表す歩みをしてみませんか?

「わたしが共にいる。決して見捨てない」

兄の怒りを買い、命を狙われるほどの状況になってしまったヤコブさんは、母の助言のもと独り生まれ育った家族のもとを離れて逃亡の旅が始まりました。

長子の特権を強く望んでいたこと、また、それを得るために自分がやってしまったこと。また、自分のしてしまった失敗に対する深い反省の時であったかもしれません。様々なことを思いながらの孤独な旅だったと思います。

日も暮れて来たので、一夜を過ごすための場所を探しました。そして、寝る場所を見つけたヤコブさんは、石を一つ取りそれを枕にして寝始めました。すると、ヤコブさんは夢の中で神様からこのように告げられました。

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れて帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(聖書 創世記28:15 新共同訳)

ヤコブさんの旅は、家族から離れ、兄から身を隠し、更には、自分の罪に苦しみながらの孤独な旅でした。

そんな中でも、神様はヤコブさんのその苦しみや寂しさをよく知っておられ、「わたしが共にいる」、「決して見捨てない」という強い約束の言葉をかけられたのでした。

神様は、私たちが人生の中でどんな孤独な旅をしている時でも、それをよく知っていてくださいます。そして、神様を求める私たちに、「わたしが共にいる」、「決して見捨てない」と今日も力強く約束の言葉をかけてくださっています。

 

「逃げる」

弟に長子の特権を奪われた兄の悲しみは怒りへと変わり、その怒りは大きく膨れ上がり、そしてその怒りは殺意へと変わっていきました。

血のつながった兄弟であり、更には長らく待ちわびてやっと与えられた大切な2人の息子たちが命を狙い狙われるような関係になってしまったことに両親も心をいためたことと思います。

兄エサウさんの計画を知った母は、長子の特権を奪うために結託していた弟ヤコブさんに対し、逃げるようにと促しました。

そして、父は今から一人寂しい逃亡の旅へと出発する弟ヤコブさんに対して一つの命令を出しました。

その内容は、ヤコブさんがこれから結婚する相手を探すにあたってどのようにするべきであるかということでした。

兄のエサウさんは、避けるべき人たちとの結婚によって両親を悩ませていました。そのため、両親は、長子の特権を受け自分たちの家系を継いでいくことになる弟ヤコブさんには神様の御心にかなった結婚をしてほしいと願ったのでした。

そして、その命令とともに、今度は欺かれてではなく、弟ヤコブを改めて祝福しました。

「どうか、全能の神がお前を祝福して繫栄させ、お前を増やして多くの民の群れとしてくださるように。どうか、アブラハムの祝福がお前とその子孫に及び、神がアブラハムに与えられた土地、お前が寄留しているこの土地を受け継ぐことができるように。」(聖書 創世記28:3∼4 新共同訳)

命を狙われ、逃亡する直前になり、他人のふりをしてではなく、今度こそ正真正銘ヤコブという人として祝福を受けることができたのでした。

そして、ヤコブさんは逃げつつも父の命令に従い結婚相手を見つけるために伯父の所へ向かって行ったのでした。

「一杯の食のために」

兄が受け継ぐことになっていた長子の特権を弟がだまし取ったという出来事。一番怒り狂ったのは、兄のエサウさんでした。

エサウさんは、空腹を満たすため弟に長子の特権を譲ると約束をした過去がありましたが、それが本当に弟の手に渡ったと知った時に事の重大さを思い知ることとなったので

した。

エサウさんは一時の空腹を満たしたいという欲求から、将来の大きな祝福を投げ捨てて、目の前にある一杯の食事を選びました。

彼は、そこで一杯の食事を選んだとしても、自分は長男として当然その特権をもら

えるものだと思っていました。

しかし、思いもしない出来事が起こり、本当に自分のもとからその特権が

取り去られることになってしまったのでした。

私たちが神様から与えられている約束。それは、将来に関するものです。神様はそれを信じて、その希望を大切にして歩んでほしいと願っておられます。

しかし、私たちは弱さゆえに、将来の希望を与えられているにも関わらず、一時の欲求から、大きな祝福を投げ捨てて、目の前にある一杯の食事を選んでしまうことがあります。

しかし、聖書はこのように言います。

「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(聖書 ローマの信徒への手紙8:24∼25 新共同訳)

イエス様が来られる時、私たちは忍耐して待ち望んだことによって喜びがあふれることでしょう。

「欺かれて気づく」

妻と息子の策略により、長男を祝福したつもりが次男にその祝福を与えてしまったことにより、世界で最初のオレオレ詐欺にかかってしまった父イサクさんでした。

声の違いに違和感を覚えつつも、自分の望み通りに長男のエサウさんに長子の特権を与えることができて一安心したイサクさんのもとに、狩りに出ていた本物のエサウさんが現れました。

「父イサクが、『お前は誰なのか』と聞くと、『わたしです。あなたの息子、長男のエサウです』と答えが返ってきた。イサクは激しく体を震わせて言った。『では、あれは一体誰だったのだ。さっき獲物を取ってわたしのところに持って来たのは。実は、お前が来る前にわたしはみんな食べて、彼を祝福してしまった。だから、彼が祝福されたものになっている。』」(聖書 創世記27:32∼33 新共同訳)

イサクさんは、自分が何とかして達成しようとしていた望みであった長男のエサウさんに長子の特権を与えるという計画が全て崩れ去ったことを知りました。

この祝福は、「間違えたからやっぱり取り消し」ということができるようなものではありませんでした。

欺かれたとしても、それを与えてしまったことを変更することはできません。この出来事を目の当たりにし、絶望に浸る父と子でした。

しかし、それと同時に父の心に神様の約束が思い出されました。それは、祝福を受けるのは長男ではなく次男のヤコブであるというものでした。

何とかして長男にそれを与えたいという自分の願いを突き通そうとしてきましたが、この絶望に思える出来事を通して、神様の約束は確かに成し遂げられるということを改めて知ることになったのでした。