牢獄を出てファラオの前に出ることとなるであろう給仕長に対し、自分のことを思い出してほしいと望みを託したヨセフさんでしたが、料理長の復帰後二年もの間忘れ去られていました。
ヨセフさんは牢獄の中にいるので、給仕長がファラオに説明してくれたのか忘れてしまっているのかはわからなかったことと思います。
待てど暮らせど自分はここから出ることができない。もし、説明してくれているのだとしたら、自分に対する誤解は解けなかったんだろうか。そんなことを思いながらの日々だったかもしれません。
しかし、神様はヨセフさんを見捨てたりはしませんでした。二年の後、今度はファラオが夢を見ました。ファラオも牢獄に入れられた時の料理長と給仕長のように、見た夢の意味が気になり始めました。
「朝になって、ファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めさせ、自分の見た夢を彼らに話した。しかし、ファラオに解き明かすことができる者はいなかった。」(聖書 創世記41:8 新共同訳)
夢の内容を話しても、誰も解き明かすことができない。そんな時、ファラオに申し出る存在がありました。
「わたしは、今日になって自分の過ちを思い出しました。」(聖書 創世記41:9 新共同訳)
大切なことを忘れていた。そう申し出たのはヨセフさんから思い出してほしいと頼まれていた給仕長でした。
ファラオが夢を見て、説きあかせる者がいないという状況の中で、二年前に自分の夢を解き明かしてくれた若者のことを思いだしたのでした。そして、給仕長はファラオに一部始終を話しました。
忘れ去られ、長い月日が経ち待ちましたが、神様はファラオの夢という出来事を通して、ヨセフさんを牢獄から導き出す計画をたてておられたのでした。
神様の計画はすぐにわかることもあれば、ゆっくりじっくりと練り上げられながらその時をむかえるということもあります。
ヨセフさんは、牢獄での日々で更に鍛錬されたのでした。