投稿者「堀 圭佑」のアーカイブ

父の嘆き

1人を人質に残して父のもとへと戻って来た兄たちは、勇気を出して事情を説明しました。しかし、父の反応は予想通りのものでした。

 父ヤコブは息子たちに言った。 「お前たちは、わたしから次々と子供を奪ってしまった。ヨセフを失い、シメオンも失った。その上ベニヤミンまでも取り上げるのか。みんなわたしを苦しめることばかりだ。」(創世記 42:36新共同訳)

 ヨセフさんを失った悲しみの大きさに加え、異国の地でシメオンさんまで失い、更には今一番大切にしているヨセフさんの実の弟にあたるベニヤミンさんまでも失う危険性があるという状況には、さすがに良しとすることはできませんでした。

 それでも父を説得するために長男のルベンさんは勝負に出ました。

ルベンは父に言った。 「もしも、お父さんのところにベニヤミンを連れ帰らないようなことがあれば、わたしの二人の息子を殺してもかまいません。どうか、彼をわたしに任せてください。わたしが、必ずお父さんのところに連れ帰りますから。」

(創世記 42:37 新共同訳)

もしも不幸な結果に終わった場合は、自分の2人の息子の命を差し出す。これが自分の2人の息子を失った父ヤコブさんに対して、ルベンさんが持ちかけた条件でした。

しかし、ヤコブは言った。 「いや、この子だけは、お前たちと一緒に行かせるわけにはいかぬ。この子の兄は死んでしまい、残っているのは、この子だけではないか。お前たちの旅の途中で、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちは、この白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのだ。」(創世記 42:38 新共同訳)

 息子を失った辛さを痛いほど知っている父ヤコブさんからすると、ルベンさんの提案した条件はあまりにも軽率に思えたかもしれません。

 そして、この兄弟たちが過去に行ってきた悪行に心を痛めてきたヤコブさんは、自分の大切な末の息子の運命をゆだねることは到底できないと思っていたことと思います。

 何よりも、また息子を失うことだけはしたくない。そのような気持ちでいっぱいいっぱいでした。

 父親が大事な息子を失うということがどれだけ辛いのかが伝わってくる一方で、父なる神様はそのような思いで独り子である御子イエス・キリストを私たちのために地上に送ってくださったのだということに改めて気が付かされます。

 その大事な独り子が痛み苦しみ、そして血を流して命を落とすことによって、私たちを罪から救ってくださいました。

「戻された代金」

何故かエジプトでスパイ容疑をかけられ兄たちは、1人を人質にして一時帰還することとなりました。そこで、兄弟の中でシメオンさんが選ばれエジプトの地に残ることとなりました。

 兄たちが帰路につく準備をしていた時、ヨセフさんは兄たちの荷物に細工をすることにしました。

 ヨセフは人々に命じて、兄たちの袋に穀物を詰め、支払った銀をめいめいの袋に返し、道中の食糧を与えるように指示し、そのとおり実行された。(聖書 創世記 42:25 新共同訳)

そんな細工がされたことなど全く知らない兄たちは帰路につきました。そして、

途中の宿で、一人がろばに餌をやろうとして、自分の袋を開けてみると、袋の口のところに自分の銀があるのを見つけ、 ほかの兄弟たちに言った。 「戻されているぞ、わたしの銀が。ほら、わたしの袋の中に。」 みんなの者は驚き、互いに震えながら言った。 「これは一体、どういうことだ。神が我々になさったことは。」(聖書 創世記2728 新共同訳)

 穀物は正式に代金を支払って購入したので問題ありませんでした。しかし、それを購入する際に支払ったはずの代金がそのまま袋に入れられていたのでした。何故こんなことが起こったのか訳がわからず他の兄弟にそれを知らせました。

 見方によっては、代金を支払ったと見せかけて不正をしたと言われてもおかしくない状況です。スパイ容疑に加えて、窃盗の容疑までかけられてしまう。そんな恐ろしい状況に感じたかもしれません。

 しかし、まだこの時、他の兄弟たちは自分の荷物の中身には気が付いていませんでした。

それから、彼らが袋を開けてみると、めいめいの袋の中にもそれぞれ自分の銀の包みが入っていた。彼らも父も、銀の包みを見て恐ろしくなった。(聖書 創世記35 新共同訳)

帰宅して袋を開けると、全員の袋の中に支払ったはずの代金が入れられていました。

お金が戻って来てラッキーと思うのか、何故こんなことが起こっているのかと自分たちのおかれている状況に真剣に向き合うのか。

 昔の兄たちであれば前者であったかもしれません。しかし、兄たちは、ある意味得したような状況にあっても、「これは一体、どういうことだ。神が我々になさったことは」と言って神様の御心を知ろうとしました。

「罪の告白と涙」

兄たちをテストするために末の弟を連れてくるようにと条件を出したヨセフさんでしたが、それを聞いた兄たちは、父親をこれ以上悲しませるわけにはいかないという思いから行動に移すことができないまま投獄されることとなってしまいました。

 しかし、ヨセフさんは兄たちや食料を待つ故郷の人々を苦しめるつもりで投獄をしたわけではありませんでしたので、次の作戦に出ました。

 三日目になって、ヨセフは彼らに言った。「こうすれば、お前たちの命を助けてやろう。わたしは神を畏れる者だ。お前たちが本当に正直な人間だというのなら、兄弟のうち一人だけを牢獄に監禁するから、ほかの者は皆、飢えているお前たちの家族のために穀物を持って帰り、末の弟をここへ連れて来い。そうして、お前たちの言い分が確かめられたら、殺されはしない。」(聖書 創世記 42:1820 新共同訳)

 ヨセフさんが出した次なる条件は、9人が人質となり1人で帰るのではなく、その逆の1人が人質となり9人で末の弟を迎えに行くというものでした。

 その条件を聞いた兄たちはこう言いました。

彼らは同意して、互いに言った。「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」(聖書 創世記 42:20-21新共同訳)

 出された条件を呑んだものの、やはり兄たちの心にはもやもやするものがありました。その原因は、昔恨みや妬みのために助けを求める弟を無慈悲にも売り飛ばしてしまったという過去の出来事でした。

彼らはヨセフが聞いているのを知らなかった。ヨセフと兄弟たちの間に、通訳がいたからである。ヨセフは彼らから遠ざかって泣いた。・・・(聖書 創世記 2324 新共同訳)

 目の前にいるのがその弟であるということなど知る由もなく、また、目の前にいるそのエジプトの偉い人に自分たちの言葉が通じるなどとは考えもしない兄たちの口から出て来たのは罪の告白の言葉でした。ヨセフさんは、兄たちの純粋な今の気持ちを知り、涙が出てきました。

イエス様も、私たちが罪を認め、それを告白して悔い改める時、ヨセフさんのように涙を流されるのだろうなと思います。

「3日間」

長い年月を経て、兄たちがどのように変わったのかを知るため、ヨセフさんは自分の身分を隠したまま兄たちにスパイ容疑をかけたまま次の作戦に出ました。

お前たちのうち、だれか一人を行かせて、弟を連れて来い。それまでは、お前たちを監禁し、お前たちの言うことが本当かどうか試す。もしそのとおりでなかったら、ファラオの命にかけて言う。お前たちは間違いなく回し者だ。」ヨセフは、こうして彼らを三日間、牢獄に監禁しておいた。(聖書 創世記42:16∼17 新共同訳)

弟を連れてくるために、1人を選んで家に帰すように。これが、ヨセフさんが出した条件でした。もし、この条件をのまない、もしくは、今までの発言の中に嘘があったとしたら、自分たちは完全にスパイとして扱われてしまう。兄たちは、そんな状況におかれてしまいました。

しかし、既に大事な息子を失っている父に対して、兄弟がエジプトに監禁されており、更には末の弟を連れて行かなければならないということを告げるのは、たとえ自分たちの命がかかっていたとしても気が進まないことでした。

そんなハッキリしない状態でいたせいか、ヨセフさんは彼らを全員牢獄に監禁してしまいました。

3日間の間、自分たちが置かれた状況を見つめながら、色々なことを考えたことと思います。もし、自分たちにやましいことがなければ、素直に出された条件に従うこともできたかもしれません。しかし、今それに従うことができないのは、自分たちが過去にしてしまった残酷な過ちがあったからでした。

兄たちは、既に昔のような血気盛んで残酷なことをするような人間から、父や弟のことを思いやるような人間へと変えられていました。しかし、この3日間は更に反省の時となったことと思います。

しかし、なによりも、自分は3年近くも投獄されていたのにもかかわらず、兄たちを3日間で釈放してあげたヨセフさんも、長い年月を経て神様によって愛の人へと成長させられていたということを見ることができます。

辛く苦しい経験をする時、それは、神様が私たちを成長させてくださる時でもあるんだということに気が付かされます。

「兄へのテスト」

 長年離れ離れになっていた兄弟が感動の再会を果たしたかと思いきや、ヨセフさんは、自分の正体に気が付いていない兄たちに対し、スパイの容疑をかけて尋問を始めました。

 勿論、兄たちはスパイではなく、純粋に国の危機に際して食糧をもらいに来ただけでした。しかし、その弁解の言葉を聞いたヨセフさんは、更に兄たちを追い詰めます。

 すると、兄たちの口から弟のことについて語られました。

 しかしヨセフが、「いや、お前たちはこの国の手薄な所を探りに来たにちがいない」と言うと、 彼らは答えた。「僕どもは、本当に十二人兄弟で、カナン地方に住むある男の息子たちでございます。末の弟は、今、父のもとにおりますが、もう一人は失いました。」

(聖書 創世記 42:12-13 新共同訳)

 実は、ヨセフさんには更に年下の弟がいました。この食糧調達の旅にはその弟は同行していませんでした。

 理由は、大切な息子を失った過去の出来事の二の舞になることを恐れた父ヤコブさんが、末の息子は自分のもとに留めておくという決断をしたからでした。

 ヨセフさんは、この兄たちの言葉から末の弟の安否を確認し、更には自分のこともしっかりと記憶しているということを確認しました。

すると、ヨセフは言った。 「お前たちは回し者だとわたしが言ったのは、そのことだ。 その点について、お前たちを試すことにする。ファラオの命にかけて言う。いちばん末の弟を、ここに来させよ。それまでは、お前たちをここから出すわけにはいかぬ。(聖書 創世記 42:14∼15 新共同訳)

兄たちが過去の出来事も含めて真実を語っているということを確認したヨセフさんは、まだ自分の正体を明かそうとせず、兄たちに対して1つの課題を出しました。

それは、父ヤコブさんが大切にしている末の弟をこのエジプトの地へと連れて来るというものでした。

一度息子を失ったがゆえに自分のもとに末の息子を留めておくと言った父ヤコブさんにこの課題を告げることは、兄たちにとって難しい課題に思えたかもしれません。

しかし、これはヨセフさんが仕掛けた兄たちに対するテストでした。窮地に追い込まれた時、あの残酷だった兄たちはどのような行動に出るのでしょうか。

自分たちが食糧を得るためなら、ためらいもなく弟を差し出すのか。もしくは、長い年月を経て兄たちは変わっているのか。

神様からの知恵を得て、ヨセフさんにとってもハラハラドキドキの駆け引きが始まりました。