「わたしのこと、覚えていますか?」
そう声をかけられてドキッとした経験がありませんか?
わたしはあります。たとえば、立派に成長して見違えるほど立派になった青年としばらくぶりに再会して、とっさに名前が出てこないようなとき、冷や汗をかきながら必死に記憶の糸を手繰り寄せるようなときです(「○○です。覚えていますか?」って言ってくれたらとても助かるんだけど…と思いながら)。
しかし、この「わたしのこと、覚えていますか?」という言葉は、どんな人の心の中にもある「自分のことを心に留めている人がいるのだろうか」という根源的な問いでもあるように思うのです。
イエス様の隣りで十字架につけられた犯罪人は、死を前にして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言いました(新約聖書 ルカによる福音書23:42 新共同訳)。
物事がうまくいかないとき、人間関係が行き詰ってしまうとき、手痛い失敗をして自己嫌悪に苛まれるとき、わたしたちは「自分なんていない方がよかったのではないか」とか「だれも自分のことを必要としていないのでは」と思い悩みます。
しかし聖書によれば、神様はそんなわたしたちを決して忘れることなく、どんな状況にあっても目に留めていてくださるというのです。
主は天から見渡し
人の子らをひとりひとりご覧になり
御座を置かれた所から
地に住むすべての人に目を留められる。
人の心をすべて造られた主は
彼らのわざをことごとく見分けられる。
(旧約聖書・詩編33:13~15 新共同訳)
私たちの人生には、冷たい北風を必死に耐え続けなければならないときがあります。
そんなときにも「神様が目を留めていてくださる」この約束から平安を受け取って生きていきたいと思います。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋