投稿者「伊藤 滋」のアーカイブ

義の太陽が昇る

木々のつぼみに、道端に咲く花に、春の訪れの近さを感じる季節になりました。

春の日差しを浴びていると、イソップ童話の「北風と太陽」を思い出します。北風が、旅人の上着を力ずくで剥ぎ取ろうと吹きつけても、彼の上着を脱がせることはできませんでしたが、太陽が昇り、あたたかな日差しを注ぐと、旅人は自分から上着を脱ぎました。

外部からの圧力や操作で人の心を変えることはできません。しかし、誰かの優しさやあたたかさに触れたとき、変えようと思っても変えることの出来なかった心が作り変えられていく、そんな経験をさせられることが確かにあるのです。


 

しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには

義の太陽が昇る。

その翼にはいやす力がある。

あなたたちは牛舎の子牛のように

躍り出て跳び回る。

(旧約聖書 マラキ3:20 新共同訳)


マラキ書の「義の20150307義の太陽が昇る太陽」とは、救い主が与えられる約束の預言です。

義の太陽であるイエス様がわたしたちの人生にあたたかな日差しを注がれるとき、私たちの傷や悩みは癒されるという約束です。

厳しい冬の最中にあるとき、その約束を信じることは難しいかもしれません。しかし、空けない夜はなく、終わらない冬はないように、神様は約束されたことを必ず実現されるのだということを心の希望として歩んでゆきたいと願っています。

 

あなたの人生に、イエス様のあたたかい日差しが届きますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

  • 写真は、東京都檜原村の払沢の滝です。真冬には氷結するそうですが、春が近づき、勢いよく水が流れていました。

昼も、そして夜も

「本音の言葉」には人の心を打つ力があります。

詩編を読んでいると、特にそのように感じます。詩編記者は、苦しみの中から神様に向かって叫び、訴えています。「え?ここまで言ってしまっていいの?」と思うような本音の言葉を神様にぶつけている箇所がたくさんあります。そしてそれらの叫びの合間に、神様への讃美の言葉、信仰の言い表しの言葉がちりばめられているのです。

ときに神様を讃美し、またあるときには神様に苦しみを訴える。これが私たちの現実でもあろうかと思います。喜びも苦しみも、本音で神様にぶつけ続けた詩編記者が残した次の言葉に、ハッとさせられました。


昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです。

(旧約聖書・詩編74:16 新共同訳)


詩編記者がそうであったように、私たちの人生にも「昼」「夜」があります。光が届き、先を見通すことのできるときだけでなく、お先真っ暗に感じられる試練の夜にも、神様が共にいてくださることを聖書は約束しています。

物事が順調に進んでいるときにも、そして逆風に苦しむ試練の日にも「昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです」というこの言葉は、移ろいやすい私たちの心を神様に立ち返らせてくれる力を持っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

  • 20150228昼も、そして夜もちょうど1年前の甲州街道・大垂水峠での写真です。今年はこのまま大雪にならずに春を迎えられるでしょうか…。

主が救い出されたことを思い起こしなさい

先週に続いて「忘れる」ということを考えている中で、旧約聖書に考えさせられる言葉がありました。

自分のもとに売られてきた奴隷が6年間働いたならば、7年目には彼らを解放してやりなさい、しかも彼らに惜しみない贈り物をもたせなさい、と神様はイスラエルの民に言われました(申命記15:12~14)。

その理由について続きの箇所に次のように書かれています。


 

「エジプトの国で奴隷であったあなたを、あなたの神、主が救い出されたことを思い起こしなさい。それゆえ、わたしは今日、このことを命じるのである。」

(申命記15:15 新共同訳)


 

エジプトで奴隷だったイスラエルの人々も、時が流れ、環境の変化の中でかつての苦しみや痛みを忘れ、実際にエジプトで奴隷生活を経験した世代はいなくなったことでしょう。人間は「忘れる」生き物なのです。そんな人間に神様は言われるのです。「かつてあなたが奴隷だった日のことを、そしてわたしがあなたをそこから救い出したことを忘れないようにしなさい」と。

苦しみを経て人は自分に対して謙虚に、そして他者に優しくなることが出来ます。その苦しみから自分を救い出してくださった神様に感謝します。しかし、苦しみが過去のものになってしてしまうとき、神様への感謝も、同じような苦しみの中にある人への優しい気持ちも風化してしまうのです。

私たちの周りに、私のかつての傷、かつての苦しみのゆえに、分かり合える傷・苦しみを抱えておられる方がおられないでしょうか。私を救い出された神様の御手を思い起こし、苦しみの中にある方のために祈りたいと思います。

20150221主が救い出されたことを思い起こしなさい

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※今週出会った風景:雨上がりの小径。

青年による讃美とメッセージ

2月14日の安息日は、東京近郊の教会から青年たちが集まり、安息日学校・礼拝のプログラムを担当してくださいました。

2015-02-14 09.47.10

青年向けの伝道の働きの取り組みの報告や

 

 

2015-02-14 11.27.20

今日のために書き下ろした「少年サムエル」の紙芝居です。

 

 

2015-02-14 12.03.58

特別讃美歌の様子です。

 

 

 

2015-02-14 11.31.582015-02-14 11.49.20

自分がイエス様を信じる信仰に導かれた証しや、礼拝説教を担当してくださいました。

神様がこのような若い方々を通して働いておられることをみんなで感じることのできた祝福された安息日でした。

 

 

 

 

第一回「み言葉と食事を食べる会」の報告

2月13日(金)17時より、甲府キリスト教会で、第一回「み言葉と食事を食べる会」がもたれました。

翌日の安息日プログラムを担当された東京近郊の教会の青年たちも加わって、賑やかな楽しい集まりになりました。

初めに礼拝堂に集まり、自己紹介(初対面の方々もいましたので)の時間をもちました。

2015-02-13 17.26.48

その後、みんなで讃美歌を歌い、聖書の言葉を読みました。

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」

(ヨハネの黙示録3:20 新共同訳聖書)

イエス様は私たちの心の扉をノックし、待っていてくださる。私たちが扉を開くなら、イエス様は中に入って共に楽しい食事を席についてくださる、という約束をみんなで感謝しました。

サンセットの祈りをささげ、みんなで食事をいただきました。

2015-02-13 18.01.00

 

今日のメニューは、山梨名物の「ほうとう」です!

身も心も温まりました!

次回の「み言葉と食事を食べる会」は、3月13日(金)17時からの予定です。

皆さまのお越しをお待ちしております。