投稿者「伊藤 滋」のアーカイブ

神の畑で

「同じ大学の友達や、なかなか教会に来られない人たちに教会に足を運んでもらうきっかけにしたい!」という願いから、八王子教会の学生伝道師とお隣の立川教会の学生伝道師の合同企画で、7月から月に2回のべスパー(金曜夜の食事会&聖書の学び)が始まります。甲府教会では今年の1月からべスパー(み言葉と食事を食べる会)を始めましたが、八王子でも始めることができて感謝です!

初めは小さな一歩かもしれませんが、「千里の道も一歩から」ということわざもあるように、一歩を踏み出さなければ何も始まりませんし、小さな一歩を積み重ねていくことでやがては大きな実りを得ることができるのではないかと期待しています。


 

20150704神の畑でわたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。

わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。

(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 3:6~9 新共同訳)


 

 

種に命を備え、成長させてくださる神様に期待して、神様によって置かれた場所で、みんなが力を合わせて働くとき、私たちの能力や思いをはるかに超えた神様の力を体験することができると信じます。

写真は、先月苗を植えた我が家の小さな家庭菜園です。小さな苗も植えられたところで成長し、やがて実りをもたらすように、信仰をもって福音の種を蒔き続けるものでありたいと思います。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

 

倒れそうな人を支え、うずくまる人を起こす

以前足のケガをして、スポーツクリニックに通院したことがありました。主治医の先生が書いた処方箋を元に、理学療法士やトレーナーからリハビリの指導を受けます。時に優しく、そして時に厳しい指導を受けて少しずつ回復することが出来ました。

そのクリニックには交通事故の後遺症に苦しむ方々や、中学生・高校生・大学生など、スポーツでケガをした人たちがたくさん通院していました。様々な年齢層や背景の人たちがいましたが、共通しているのは「怪我を克服してもう一度立ち上がる」ということでした。

クリニックのスタッフの方々がこの共通の目的のために情熱的に関わっている姿を見て、「誰かが立ち上がる手助けをする」というのは本当に尊い働きだと痛感したのを覚えています。


主は倒れようとする人をひとりひとり支え20150627倒れそうな人を支え

うずくまっている人を起こしてくださいます。

ものみながあなたに目を注いで待ち望むと

あなたはときに応じて食べ物をくださいます。

(旧約聖書 詩編145:14.15 新共同訳)


私たちが傷つき倒れ、うずくまるとき、神様が起こしてくださるというのが聖書の約束です。そして、私たちもそれぞれの方法で(祈ること・具体的な行動をすること・話を聞くこと…等など)倒れている誰かが立ち上がる手助けをすることができるのです。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

すべてのわざには時がある

昨年に続いて百合の花が見事に花開きました。四季折々の花は私たちの目を楽しませてくれます。

桜のように春に咲く花があり、アジサイのように梅雨時に美しい花を咲かせる花もあります。夏の厳しい暑さのもとで咲く花もあれば、秋に咲く花、厳しい冬の寒さの中でも花を開くパンジーやビオラのような花もあります。

今年も咲いた百合の花を見ながら、次の聖書の言葉が思い出されました。


 

天が下のすべての事には季節があり、20150620すべてのわざには時がある

   すべてのわざには時がある。

   生るるに時があり、死ぬるに時があり、

   植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、

   殺すに時があり、いやすに時があり、

   こわすに時があり、建てるに時があり、…。

(旧約聖書 伝道の書3:1~3 口語訳)


 

花は季節が来ればつぼみがふくらみ、やがて花を咲かせます。しかし、私たちの人生の「時」は、「夏が近いから百合の花が開く」というように先を見通すことができません。

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」(同3:11)

と書かれている通りです。

苦しみのトンネルの出口が見える「時」。

涙を流しながら祈り続けてきた祈りがきかれる「時」。

・・・それがいつなのか、私たちには分かりません。しかし、植物が地に根を下ろし、生きているなら「時」が来て必ず花を咲かせるように、私たちも命の源である神様にしっかりとつながり続けているならば、必ず神様が「時」を備えていてくださると信じます。

神様の「時」に、花が咲くのを目撃し、共に心から神様を讃美する日が一日も早くきますようにと祈ります。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

第5回 「み言葉と食事を食べる会」の報告

さきほど「み言葉と食事を食べる会」が終わりました。

今日はルカによる福音書15:8~10の「見失った銀貨のたとえ」をみんなで読み、感想を分かち合いました。

またそれぞれの1週間を振り返る時間を持ちました。

いつもと同じ2015-06-12 17.24.26ように顔を合わせている者同士でも、「今週はこんなことがあったんですか?」と驚くようなこともあり、お互いをより深く理解し合う機会になっています。

 

 

 

「み言葉」の後は、「食事」をいただきます!

 

2015-06-12 18.22.46

今日のメニューは、

・ミートソーススパゲッティー

・かぶのスープ

・ヤングコーンとアスパラのフライ

でした。おいしかったです!

深く掘り下げるとき

しばらくぶりに再会した友人と、お互いの近況について語り合う機会がありました。

「物事が順調に進むこともあれば、何をやってもうまくいかないこともある。うまくいかないときはそこから逃げることなく、でも、必要以上に自分を責めたり落ち込みすぎたりすることもなく、静かにじっとこらえることが大切だと感じている。そういう時間にこそ、自分が成長することができる」という友人の言葉に励まされ、お互い仕事や立場は違っても大いに共感し合いました。

旧約聖書・ヨブ記は、「苦しみ」について私たちに多くの示唆を与えています。


 

人は暗黒の果てまでも行き/死の闇の奥底をも究めて鉱石を捜す。

地上からはるか深く坑道を掘り/行き交う人に忘れられ/地下深く身をつり下げて揺れている。

食物を産み出す大地も/下は火のように沸き返っている。

鉱石にはサファイアも混じり/金の粒も含まれている。

猛禽もその道を知らず/禿鷹の目すら、それを見つけることはできない。

獅子もそこを通らず/あの誇り高い獣もそこを踏んだことはない。

だが人は、硬い岩にまで手を伸ばし/山を基から掘り返す。

岩を切り裂いて進み/価値あるものを見落とすことはない。

(旧約聖書・ヨブ記28:3~10)


 

「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。」20150613深く掘り下げるとき

これは、シドニーオリンピック女子マラソン金メダリスト高橋尚子さんが、高校時代の恩師の中沢正仁先生から送られた言葉だそうです。先の聖書の言葉と重なる部分があるように思いました。

逆境の日にも、腐らず諦めず、そこに踏みとどまって人生を掘り下げられる力と希望を、神様からいただきたいと思います。

※写真は、実家で父が育てたバラの花です。

 

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋