厳しい暑さの夏でしたが、今週は気温が下がり朝晩は肌寒く感じられるくらいでした。皆さま、体調を崩されたりしていないでしょうか。
2週間ほど前、連日の猛暑に苦しんでいた頃のことです。実家に帰省して近くの山道を散歩していると、足下に山栗が転がっているのが目に留まりました。栗のイガはまだ緑色でしたが、自然界は確実に次の季節に向かって歩を進めているのだな、秋はもうすぐそこまで来ているんだ!と嬉しい気持ちになりました。(私は暑さが苦手で、秋が好きなのですが、夏が好きな方にとっては「夏の終わり」は寂しい季節ですね。)
どんなに猛暑の年、残暑が厳しい年でも、真夏の暑さがいつまでも続くわけではありません。同じように、私たちが体験する厳しい試練の日も、いつまでも続く訳ではないことを覚えたいと思うのです。
必死に祈り続けているのに一向に祈りが聞かれない、なぜ神様は沈黙しておられるのか?私は神から見放されているのではないか…そう感じてしまうような深い苦しみの中にあっても、自然界の小さな変化に次の季節の到来の近いことを覚えるように、何か小さなこと当たり前の日常の中に神様からの慰めや励ましを見いだすことが出来るなら、こんなに幸いなことはないのではないでしょうか。
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。…神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
(旧約聖書 伝道の書3:1,11 口語訳)
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋