イスラエルの民が奴隷状態だったエジプトを出て、荒れ野を旅して目的地であるカナンの地を前にしたとき、斥候として12人が選ばれました。彼らは民に先だってカナンの地を偵察し、報告するために派遣されました。偵察から戻った彼らの報告は次のようなものでした。
「わたしたちが行き巡って探った地は、そこに住む者を滅ぼす地です。またその所でわたしたちが見た民はみな背の高い人々です。…わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません。」(旧約聖書 民数記13:32,33 口語訳)
そこに背の高い人々が生活していたというのは事実でしょう。しかし彼らが、そこに住む人々から「おまえたちはいなごのようなちっぽけな人間だ」と思われていた、というのは斥候たちの悲観的な思い込みでした。私たちも目の前にある困難ばかりに目が行ってしまうとき、彼らと同じように「自分をいなごのように思い」「彼らにもそう見えたに違いない」と、否定的な考えに心が支配されてしまうことがないでしょうか。
斥候の中の一人、カレブの言葉は、時として歪んだセルフイメージに縛られてしまうわたしたちに強く訴えかけてきます。
「わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れる地です。ただ、主にそむいてはなりません。またその地の民を恐れてはなりません。」(同 14:7~9)
あなたはどちらの声に耳を傾けるでしょうか?
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋