投稿者「伊藤 滋」のアーカイブ

あきらめきれない思い

「人生あきらめが肝心」…これは真実でしょうか?

自分がこだわっていたものを手放し、「あきらめる」ことで見えてくる物や気づくことがあります。

逆に、あきらめずに努力を続けることでしか手に入れられないものがあるでしょう。

「人生あきらめが肝心」は、ケースバイケースなのかもしれません。

真実の愛を示し続けた神様に背き続けた人間の姿が、聖書には繰り返し記録されています。


 

ああ、エフライムよ

お前を見捨てることができようか。

イスラエルよ

お前を引き渡すことができようか。

アドマのようにお前を見捨て

ツェボイムのようにすることができようか。

わたしは激しく心を動かされ

憐れみに胸を焼かれる。

(旧約聖書 ホセア書11:8 新共同訳)


 

神様は、ご自分を裏切り、背を向け続けた者たちに対して「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」(旧約聖書 エゼキエル33:11 新共同訳)と言われるのです。そこには「あきらめ」が入る余地はありません。神様は人間をあきらめられない。神様は私を、そしてあなたを決してあきらめることができないほどに愛しておられるのです。

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私はひどい自己嫌悪にさいなまれ、自分自身をあきらめたくなってしまったことがこれまでに何度もありました。でも、こんな私のことさえあきらめずに、愛と忍耐を持って導き、見守ってくださるお方がいるのだという聖書の約束にどれだけ励まされ、力づけられたことでしょう。「もう一度頑張ってみよう」と思える力が自分の内に枯渇してしまうようなとき、私を決してあきらめられない神様に心を向けたいと思います。

 

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は、夜明け前の甲府盆地と富士山です。

今年の目標

新しい年がスタートして1週間が過ぎました。正月休みも終わり、普段通りの生活が再開しました。慌ただしい日常に追われて新しい年の決心・目標を忘れてしまわないように、ここに記録しておきたいと思います。

私の2016年の目標は「心と身体のストレッチ」です。子どもの頃から身体が固く、学校の先生から「風呂上がりにストレッチする習慣を身につけなさい」と言われてきたのですが、この年になっても一向に改善されないばかりか、一層身体が固くなってきているのを危機感と共に痛感させられています。腰や肩など、身体の固さからきていると思われる慢性的な痛みも気になっているところです。

そして、身体だけではなく、頭の中も「固く」なってきてないだろうか?と最近自問させられることが増えてきました。数えてみると、牧師として働き始めてから20年が過ぎ、現在の教会(八王子・甲府)に赴任してからも3年が過ぎようとしています。「時間が過ぎる」ということは「経験を積む」という意味では財産ですが、既成概念にとらわれて「頭が固くなる」危険性もあります。

イエス様はご自分を信じた人々に次のように語られました。

「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

(新約聖書 ヨハネによる福音書8:31,32 新共同訳)

20160109今年の目標私たちが信仰生活を重ねるごとに頭や心が固くなっていくのではなく、「真理によって自由にされる」とは、何と素晴らしいイエス様の約束でしょうか?

2016年を終えるとき、「心も身体も自由に(柔らかく)なったなあ~」と感じられるような一年を過ごしたいと願っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

 

※写真は八王子市内大和田橋からの初日の出です。

まず神の国と神の義とを求めなさい

新年明けましておめでとうございます。2016年がスタートしました。新しい年、どんな思いで、何を目指し、どんな夢を思い描いてスタートされたでしょうか?

イエス様は山上の説教の中で次のように言われました。

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(新約聖書 マタイによる福音書6:33 口語訳)。

「まず」とは、自分の心の中の優先順位を指す言葉です。「何を第一とするのか」が問われています。この「優先順位」について非常に考えさせられる文章がありましたので、ご紹介させていただきます。

「安息日は、アダムとエバにとって彼らが創造されてはじめて迎える最初の24時間であった。神が彼らにこの日を祝うように招かれたのは、彼らが1週間働いて、休みを必要としたからではなかった。神は、彼らにとっての最初の日に彼らにお会いになられたのである。このように、人間の、神と共に歩む歴史は、創造週の第一日ではなく第七日に始まったのである。…神は、われわれの経験や思想や計画や生活において、まず最初に迎えるべきお方である。何事をするにしてもそれを始める前に、また一週の働きを始める前に、神のもとにくるときに、われわれははじめて優先順位を正しい秩序に保つのである。」(サカエ・クボ『神との出会い』18ページ)

人類にとっての最初の24時間は、神様を礼拝するための日、安息日でした。神様が箱舟によってノアと彼の家族を洪水から守られた後、舟から出たノアが最初にしたことは、「祭壇を築いて…燔祭を祭壇の上にささげ」(創世記8:20)ること、すなわち神様を礼拝することでした。

新しい年を迎えた今、自分の中の優先順位の物差しを神様の前に正していただき、1年の歩みをスタートさせたいと思います。

20160102まず神の国と神の義とを求めなさい

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

 

※写真は、故郷の川に沈む夕日です(茨城県日立市久慈川河口で。撮影:伊藤穣)。

毎日食べるものによってつくられている

毎週金曜日に更新しているこのショートメッセージは、もともと兼任している八王子教会のホームページでスタートしたものです。このショートメッセージも、今回で100回目となりました(八王子教会ではじめたものから数えた場合)。第一回目が2014年1月25日でしたので、間もなく2年になります。読み返してみると、同じようなことを何度も書いていたり、同じ聖句を引用したり、自分でも恥ずかしくなるような稚拙な文章ばかりですが、まさにこれが私のこの100週間の歩みだったのだと実感しています。

私にとってこのショートメッセージを書くことは、「食べ物を食べて排泄すること」のようなものかもしれない、と常々感じていました(変なたとえですみません)。そのとき自分が悩んだこと、問題意識を感じていること、それらの中で聖書の言葉に励まされたことなどが毎週の記事の原料になっています。逆に言えば、何も悩まず考えず、聖書の言葉が心に入って来ていないときは、書くことが出来なくなるのです。

「真の美しさは、健康な身体の内側から生まれます。ダイエットのために食事をとらないようにするなんて論外。あなたの身体はすべて毎日食べるものによってつくられていることを自覚しましょう。」

これは「美の伝道師」と呼ばれるイネス・リグロンの言葉です。本当にその通りだと思います。そしてこれは身体だけでなく、心にもそのまま当てはまる原則ではないでしょうか。

心身の健康のため、毎日心と身体の糧を取ることを大切にしていきたいものです。


 

主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

(旧約聖書 申命記8:3 新共同訳)


よい新年をお迎えください。新しい年も皆様の上に神様の素晴らしい祝福がありますようにお祈りさせていただきます。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は、金曜夜のべスパーのある日のメニューです。2015-03-13 18.31.44

「ずうっと歩いたことも、プレゼントの一部なんだよ」

20151219ずうっと歩いたこともプレゼントの一部なんだよアフリカのある村でのことです。一人の少年がキリスト教の宣教師に、クリスマスプレゼントを贈りました。それは美しく珍しい貝殻でした。少年はこの贈り物を手に入れるために、気の遠くなるような距離を歩いて往復したのでした。宣教師は感激し、お礼を言いました。少年は答えて言いました。「あのね、先生、ずうっと歩いたこともプレゼントの一部なんだよ。」(ガイドポスト編『とっておきのクリスマス』より)

私は、この少年のクリスマスプレゼントのお話が大好きです。贈り物とは、「品物」だけを指すのではなく、何を贈ろうか考え悩んだ時間や、その贈り物を探すために歩いた距離などのプロセスもすべてひっくるめたものなのだということを、この少年の言葉が教えているからです。

2000年前、イエス・キリストは、神の子の身分を捨てて、この地上に一人の赤ちゃんとしてお生まれになりました。このイエス・キリストこそが、神様から私たちへの最高の贈り物なのだと聖書は教えています。

このクリスマスの季節に、人間を救うため、この私を罪から救い出すために十字架にかかって死んでくださったイエス様に思いを巡らしたいのです。どんな気持ちでこの世界に降りて来られたのか、そしてどんな思いで人々のために働き、十字架に向かって歩まれたのか…。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

(新約聖書フィリピの信徒への手紙2:6~8 新共同訳)

あなたがこのクリスマスに、神様からの最高の贈り物をしっかりと受け取ることが出来ますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋