投稿者「伊藤 滋」のアーカイブ

あなたの安全な場所から出てきなさい

イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。

(新約聖書ルカによる福音書19:5,6 口語訳)


ザアカイは社会の嫌われ者でした。お金は持っていましたが、友だちはいませんでした。「取税人のかしら」という職業・社会的な地位はありましたが、一旦職場を離れれば、彼は孤独でした。そんな彼でしたが、イエス様についてのうわさを聞き、直接イエス様に会いたい、話しを聞いてみたいという気持ちになりました。嫌われ者のザアカイが、人だかりの中にいるイエス様に会いに行くというのは大きなリスクの伴うことでした。「お前のような男が来る場所じゃない。帰れ!」などと人々から冷たい言葉を浴びせられたかもしれません。しかし、彼はイエス様のもとに行くことを選びました。

神様はしばしば、私たち人間に「あなたの安全な場所から出てきなさい」と呼びかけられます。「信仰の父」と呼ばれたアブラハムは、神様の言葉に従って、行き先も知らずに旅に出ました。イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセは、静かに羊飼いをしていましたが、神様の命令に従ってエジプトに戻り、民をエジプトから導き出しました。イエス様の弟子たちは、「わたしに従って来なさい」というイエス様の声を聞いたとき、自分の仕事を捨てて立ち上がりました。

私たちは誰でも、「自分の安全な場所」に留まりたいと思います。そこにいれば、当面の安心は保証されてい

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るからです。私たちが神様に本気で従おうとするとき、神様はしばしば「あなたの安全な場所から一歩踏み出しなさい」と呼びかけられます。ザアカイが、彼の「安全な場所」から一歩踏み出したとき、彼はイエス様と出会い、彼の人生は全く違うものになりました。

2017年が始まって早くも1カ月が過ぎようとしています。今年、もしも神様からの呼びかけを聞いたなら、信仰をもって「一歩」を踏み出してみませんか?きっと安全な場所にいては見えなかった景色を見ることができることでしょう。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は、高尾・駒木野庭園のロウバイです。

10日間の祈祷

また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。

(新約聖書 ルカによる福音書18:1 口語訳)


この聖書の言葉は私たちに、時として祈りには失望が付きまとうものであることを教えています。私たちが失望させられるのはどんなときでしょうか?多くの場合、それは期待が裏切られたとき、自分が望み、予想していた結果が得られなかったときではないでしょうか。

イエス様が「失望せずに常に祈るべきことを教え」るために人々に語られたのは、「やもめと裁判官のたとえ」というたとえ話でした。ひどい裁判官がいました。最終的に彼は、やもめの訴えを聞き入れ、彼女のために裁判をするのですが、その理由は「しつこくてかなわないから」というものでした。「ひどい裁判官であっても、諦めずに訴え続ける人の声には耳を傾ける。ましてや、愛の神が、あなたがたの心からの祈りに答えないはずはないだろう」とイエス様は言われるのです。


 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。

(新約聖書 ローマ人への手紙10:11 口語訳)


私たちの教会では、現在「10日間の祈り」の集会を持っています。私たち自身の中には、そして私たちの周2017012110日間の祈祷りにもたくさんの祈りの課題があります。祈りなしには希望を見いだせないような苦しみがそこにあることを私たちは知っています。祈っても自分が期待している答えがなかなか得られないとき、私たちは失望しがちです。しかし、神様を信じること、神様に祈ることを諦めないで祈り続けるものでありたいと願っています。私たちは一人では難しいことも、仲間と共に励まし合うことで続けることが出来ます。今週私はこの集会で、何度も励まされました。あなたもこの「10日間の祈り」に加わってみませんか?

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は昨年11月、韓国チェジュ島のリーダーシップトレーニングセンターで。

目標を目指して

先日、ある方から「4月9日に開催されるマラソン大会に出ませ20170114目標を目指してんか?」とお誘いを頂きました。少し迷ったのですが、思い切ってハーフマラソンの部にエントリーすることにしました。これは私にとって今年の大きなチャレンジです!

これまでも出来るだけ毎日時間を見つけてジョギングしてきたのですが、「4月9日にハーフマラソンを走る」という具体的な目標が出来たことで、毎日のジョギングに取り組むモチベーションが大いに高められました。「目標を持つ」ということは大切だと改めて実感しています。

韓国での研修の英語のクラスで「あなたの計画、夢は何ですか?」というテーマでクラスメートと語り合う時間がありました。この歳になると、「夢を目指す」よりも「日々の現実を生きる」ことに精一杯で、改めて「自分の夢って何だっけ?」と考えさせられました。そして、クラスメートが少年のように目を輝かせながら、自分の夢について語る姿に大いに刺激を受けました。「夢を持つ」ことは大切だと改めて実感しました。

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。

(新約聖書 ヘブル人への手紙11:13,14 口語訳)

 わたしたちは今、天の家路についています。わたしたちのために命を投げ出すほどに愛してくださった主は、都を用意してくださっているのです。新しい都エルサレムは私たちの憩いと休息の場所、帰るべき家です。

(エレン・ホワイト『天つ家郷』より)

聖書は私たちに「究極の目的地」を約束しています。私はこの目的地である天国を目指していることを、忘れずに日々を生きたいと願っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は朝のジョギングコースからの日の出です。

もう一度網を打て

「もう一度やり直し!」…この言葉が好きな人がいるでしょうか?

聖書の中に、イエス様が「もう一度やり直し!」に近い言葉を語られた場面があります。


 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。

(新約聖書 ヨハネによる福音書21:5,6 新共同訳)


プロの漁師だった弟子たちが一晩漁をしましたが、その夜は何の収穫もありませんでした。彼らはそのとき、イエス様の「もう一度網を打て」という命令に従いました。その結果、彼らは信じられないような大漁を経験しました。

私たちは頑張っても結果が出ず、疲れ果て、憔悴しきっているとき、「もう一度網を打て」とイエス様から言われたら、その言葉に従うことを選ぶでしょうか?それとも「もう無理です」と諦めるでしょうか…。

「イエスが彼らに網を舟の右側におろすように命じられたことには目的があった。右側には、イエスが岸に立っておられた。それは信仰の側であった。もし彼らがイエスとつながって働くなら…彼らはかならず成功するのであった。」(『各時代の希望』85章より)

20170107%e3%82%82%e3%81%86%e4%b8%80%e5%ba%a6%e7%b6%b2%e3%82%92%e6%89%93%e3%81%a6イエス様から私たちへの「もう一度!」は、ダメ出しではなく、「私はあなたに再びチャンスを与える。やってごらん!」という励ましのメッセージです。新しい年を迎えた私たちには、「もう一度」今を生きるチャンスが与えられています。「舟の右側にもう一度網を打つ」とは、どういうことなのか?私個人として、また教会として、このイエス様の言葉に真剣に取り組む一年でありたいと思います。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな

2016年12月31日、2016年最後の日は安息日です。神様との交わりの中で、静かに今年一年間を振り返りたいと思います。

一年を振り返ると、楽しいこともありましたが、悲しいことや心が引き裂かれるような思いにさせられたこともしばしばでした。皆さんの2016年はいかがだったでしょうか?

年末になると心の中に思い出される聖書の言葉です。


わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

(旧約聖書 詩篇103:2 新改訳)


確かに苦しみや悲しみの多い人生を私たちは生きています。しかし、心を静めて信仰の目を開いてそれらの日々を振り返ってみるとき、その苦しみや悲しみの中にも、「主の良くしてくださったこと」が見えてくるように思います。

過ぎし日々の中に、神の恵みを数えるとき、私たちの心は感謝と讃美に満たされます。私は年末に自分の手帳や日記を読み返しながら、神様からいただいた祝福を数えるひとときが好きです。

私自身、この1年、神様からの予想外の祝福をたくさんいただきました。間もなく迎える新しい1年はどんな年になるでしょうか?皆さんの新年に、神様の祝福が豊かにありますように。20161231%e4%b8%bb%e3%81%ae%e8%89%af%e3%81%8f%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%8f%e3%81%a0%e3%81%95%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%93%e3%81%a8%e3%82%92%e4%bd%95%e4%b8%80%e3%81%a4%e5%bf%98%e3%82%8c%e3%82%8b%e3%81%aa

 

「主が私たちを導いてこられた道と、私たちの過去の歴史における主の教えとを忘れないかぎり、私たちは決して将来を恐れる必要はありません。」

(エレン・ホワイト R&H1905 年 10 月 12 日)

※写真は、八王子市内大和田橋からの初日の出です(2016年1月1日撮影)。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋