私たちは神様に祈ります。私自身の祈りを振り返ってみると、祈りの中には神様への讃美や感謝もありますが、その多くは「願い」です。「神様、わたしが取り組んでいる計画がうまくいくようにしてください。」「わたしの願いが実現しますように。」…といった具合です。それらの祈りが間違っている訳では決してありません。「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(フィリピ4:6)と聖書に書かれているからです。
しかしその一方で聖書は、私たちの願望よりも神様のみ旨が成就することを求めるように教えています。イエス様は十字架を前にしてこう祈られました。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22:42)。
ある朝、聖書を読んでいると、次の言葉に目が留まりました。
「我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように」(歴代誌上19:13)。
これは、ダビデ王の家臣だったヨアブが戦いに出ていくときに語った言葉です。彼が自らの勝利や成功を願っていなかったはずはありません。しかし彼は戦いの前に自軍の勝利を祈るのではなく、「主が良いと思われること」が実現することを願い求めたのです。
以前読んだ本の一節が思い出されます。「祈りとは、自分の願いが聖霊の働きによって神のみこころに合致していくプロセスである」(『今日における奇蹟・いやし・預言』172ページ)。
私の祈りが、単なる自己実現の要求ではなく、神様のご計画の実現を心から願い求めるものへと日々作り変えられますように。
※山梨県・茅ケ岳からの富士山(撮影:2月10日)
We pray to God. When I looked back on my prayers, there was a few appreciation and praise, but most of them were “wishes”.
For example, “God, please lead my plan to success.” “God, please make my wish come true.”
They are not wrong prayers. It is written in the Bible as follows.
pray about everything. Tell God what you need, and thank him for all he has done.(Philippians 4:6 NLT)
However, the Bible teaches us to ask God’s will rather than our wishes. This is a prayer of Jesus before the cross.
“Father, if you are willing, please take this cup of suffering away from me. Yet I want your will to be done, not mine.” (Luke 22:42 NLT)
One morning I noticed this word when I was reading the Bible.
“Be courageous! Let us fight bravely for our people and the cities of our God. May the Lord’s will be done.”(1Chronicles 19:13 NLT)
This is the word David’s servant Joab spoke before the battle. He should have wanted to win the battle. But he demanded for achieve of God’s will, not his own victory.
It reminded me a sentence that I have read before.
“Prayer is the process by which my wish matches God’s will by the work of the Holy Spirit.”
I hope that my prayers will match God’s will.