聖書には、様々な信仰の先輩たちの姿が記されています。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、そしてモーセ。
そんな中でも、私たちが注目すべきは、信仰の歩みを完成されたイエス・キリストというお方です。
こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。 (聖書 ヘブライ人への手紙 12:1–3 新共同訳)
私たちは天の故郷を目指しながら、信仰の歩みを続けています。その歩みの中には様々なことが起こります。感謝と讃美に満ち溢れる時もあれば、信仰が揺さぶられることもあります。
そんな私たちに対して、聖書はイエス様を見つめながら歩み続けるようにと言っています。
春は出会いと別れの時です。この3月をもって異動のため八王子教会を去ることとなりました。ということで、聖書から信仰の先輩方の歩みを少しずつ見て参りましたこのシリーズは一旦お終いとなります。
聖書が示すように、いつもイエス様という信仰の創始者また完成者を見つめ続けながら歩みを続けて行きましょう。